2011年12月5日月曜日

KeepQuiet 00 概説

Keep Quiet


プーンジャの獅子吼「黙りおれ!」


キクダケ:プーンジャの『Keep Quiet(鎮まりて在れ)』はインタビュー映像だったのですか?
セツメイ:そうだよ。ラマナマハルシと弟子たちの研究・出版などで精力的な仕事をしているデイヴィド・ゴッドマン David Godman が、西欧にプーンジャジーとその教えを伝えるために制作したインタビュー映像だね。
キクダケ:それを文章化したのですか?
セツメイ:英語のテキストは『Papaji:Interviews Edited By David Godman』に掲載されていて、それをヨーガヴァースィティで学修していた木村昴平さんが試訳してくれてね。多少手直しをしてご覧のような体裁になったんだね。
キクダケ:パーパージーはのっけから、「どのような教えであっても、それは説教することです。[手段を超越してしまった]真の教師は、教えや方法や道を持 ちません。あなた自身のセルフを知るのに、どんな教えも必要ありません。あなたが実在としてある[真]の[姿]は、常にアレそのもの(セルフ Self。全体宇宙生命)なのです。誰もあなたに教えることは[最終的には]できないのです。あなたは、今ここ、この瞬間に自分は誰であるかを[自分自身 で]悟らなければいけません。」とラマナマハルシのようなことを言っていますが、これでは誰も何も分からないのではありませんか?
セツメイ:分からないだろうけれど、正解だね。
キクダケ:どうしてですか?
セツメイ:真理の指摘だからだよ。
キクダケ:でも、一般の人たちだけでなくても、修行をしている人たちでも、このような答では何をどうすればいのか見当すらつかないのではありませんか?
セツメイ:あなたのレベルからの発言としては理解できるよ。
キクダケ:じゃあ、あなたには分かるのですか?
セツメイ:完璧な解答だと思うよ。もっといいのは答えないことだろうよ。
キクダケ:ええ?答えなかったら、それこそ何がなんだか分からないではありませんか?
セツメイ:寂黙(マウナ mauna)の状態をどうやって説明できると思う?
キクダケ:さあ…「静かであること」とか「寂静」とか…
セツメイ:それらは言葉であって、その状態の説明だよ。ソレソノモノではないね。
キクダケ:じゃあ、どうやって人に分からせることができるというのですか?
セツメイ:………………
キクダケ:どうかしましたか?
セツメイ:………………
キクダケ:質問が気に入りませんでしたか?
セツメイ:………………
キクダケ:………
セツメイ:そういうことだよ。
キクダケ:はあ?
セツメイ:黙ることだよ。
キクダケ:何がですか?
セツメイ:アンポンタンであっても、黙るならちょっとはましだよ。
キクダケ:黙るとなぜよいのですか?
セツメイ:静かだからだよ。
キクダケ:静かだとどうしてよいのですか?
セツメイ:真理を覆い隠しているものが減るからだよ。
キクダケ:真理を覆い隠しているものって何ですか?
セツメイ:主に言葉と考え事だよ。
キクダケ:?
セツメイ:言葉と思考が有る限り、真理は覆い隠されているので、プーンジャジーは教え=説教=言葉=思考であることを暗に指摘しているのだよ。だから、言葉と考え事の覆いを捨てるよりほかは無いのさ。
キクダケ:どうやって捨てるのですか?
セツメイ:アートマ・ヴィチャーラ Atma-vicAra(思いの出所の探究)によってだよ。
キクダケ:それはラマナマハルシの教えだと思いますが、プーンジャジーの教えも同じなのですか?
セツメイ:もちろん!summA iru (Keep Quiet) とアートマ・ヴィチャーラ Atma-vicAra(思いの出所の探究)は同じことだよ。
キクダケ:それは驚きです。
セツメイ:驚きは寂黙(マウナ mauna)じゃないよ。驚かないほうがいいね。
キクダケ:静けさの良さがよく分からないのですが。
セツメイ:心が未熟だからだよ。
キクダケ:成熟すると静まるのですか?
セツメイ:Yes.
キクダケ:静かにしているだけでは生き甲斐を感じないのではありませんか?
セツメイ:あなたはアタマのグルグル回しをしていて生き甲斐を感じるわけ?
キクダケ:いえ、それは頭痛の種ですが、仕事をやり遂げた時とか、何かの目標に向かって前進している時とかに生き甲斐を感じると思うのですが。
セツメイ:いつでも生き甲斐を感じているの?
キクダケ:いえ、挫折感のほうが多いですが。
セツメイ:あなたが言う生き甲斐と挫折感は表裏一体で、真理の覚知現成 Self-Realization に伴う至福 Ananda (bliss) にとっては覆い物にすぎないよ。
キクダケ:あなたには目標に向かう生き甲斐とか、仕事を達成した充実感とかは無いのですか?
セツメイ:有っても、それが真理だとは思っていないね。真理は寂黙(マウナ mauna)・至福 Ananda (bliss) 以外の何物でもないと承知しているからね。
キクダケ:ラマナマハルシやプーンジャジーの教えは、どうも取っ付きにくいですねえ。
セツメイ:だから、前回も言ったけれど、あなたにはマインドフルネスの修行が適しているよ。
キクダケ:それだけでいいのですか?
セツメイ:それだけと言ったって、一生かかってどれだけマインドフルになれると思うの?マインドレスな毎日じゃないの?
キクダケ:…そうかもしれません…
セツメイ:かもしれない、じゃなく、そうだ、とは気づかないの?その気づきの無さがマインドレスな証拠だよ。
キクダケ:ラマナマハルシやプーンジャの教えが最高なんて聞かされると、ほかの教えを学修しなければいけないというのがミジメです。
セツメイ:なんで?
キクダケ:なんとなく挫折感があって…
セツメイ:あのねえ、例えばオリンピックで金メダルを期待されて いて、みんなが金メダルを取るだろうと思っていた選手が、たまたま不調で金メダルを取れなかったら、その選手は挫折感を持って当然かもしれないけれど、テ レビを見ているだけの観客が挫折するには及ばないんだよ。
キクダケ:どういうことですか?
セツメイ:あなたのように、「修行オリンピック」に有資格の人間 ではなく、聖賢方の教えをのぞき見しているだけの人間がだよ、参加もしていないのになんで挫折感を抱いたりするの?暇を持て余して、退屈な日常生活をして いるだけの凡人たちが、ただ単にラマナマハルシの教えが最高と耳にして、自分がその教えにふさわしい人間ではないと指摘されて挫折感を抱くなんて、まった く滑稽な話だね。エピクテートス先生が話していた例えを思い出してごらん。『提要』の 29 番を読み直してごらん。参加するためのトレーニングをしていない人間が、得意になったり挫折感を抱いたりするのは、プロのマラソン選手が走っているのを見 て、沿道でちょこっと並走しているオメデタ観衆みたいなものだよ。
キクダケ:私はそんな程度なのでしょうか?
セツメイ:自分の毎日の生活を点検してごらん。どういう物事に時間を当てがっているか、どういう考え事を追いかけ回しているかで、簡単に証明されることだよ。
キクダケ:…
セツメイ:…
キクダケ:じゃあ、せめてプーンジャジーの教えについて一言だけでもお願いできますか?
セツメイ:「黙らっしゃい!」

2011年8月27日土曜日

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 01


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

1

愛称パーパージー(パパジ)ことプーンジャジーは、ラマナマハルシの 最良の直弟子の一人です。ラマナマハルシに傾倒しそしてプーンジャジーに傾倒している David Godman がまとめた『Papaji:Interviews』(Avadhuta Foundation)は、とても味わい深い記録です。木村昴平氏が手がけた逐語訳+意訳を校訂して、皆さんの学修に資したいと思います。この資料を参考 にして、原本やビデオを繰り返し深く味わってもらえれば幸いです(この翻訳は原本『Papaji:Interviews Edited By David Godman』とビデオ Poonja:Summa Iru! (Keep Quiet!) の購入所持者に提供したものですので、お持ちでない方はぜひ購入されるようおすすめします)。

D:パーパージー、私達はあなたの教えについて映画を作ろうと思っています。あなたは、教えを持っていないと言われますが、私達はどのようにして映画を作ればいいのでしょうか?

P:どのような教えであっても、それは説教することです。[手段を超越してしまった]真の教師は、教えや方法や道を持ちません。あなた自身のセルフを知るのに、どんな教えも必要ありません。あなたが実在としてある[真][姿]は、常にアレそのもの(セルフ Self。全体宇宙生命)なのです。誰もあなたに教えることは[最終的には]できないのです。あなたは、今ここ、この瞬間に自分は誰であるかを[自分自身で]悟らなければいけません。

D:あなたは教えるとき、人々がどの方向を見るべきかを指摘するのを、重要だと思いますか?

P:人々はどのような方向をも見るべきではありません。[笑い]特定の方向を見ることは一つの対象に留まることを意味し、あなたはその対象にあなたの注意を注いで[執着して]いるのです。人々はこのようにして、[アレそのもの(セルフ)を見失って]迷っているのです。しかしもし彼らが[分別にすぎない]全ての方向を排除し、どんな方向の概念をも心の中に持たないならそのとき自分が、実は[アレそのもの(セルフ)という]真実の存在であることを知るでしょう。彼らは、アレ自身であることを知るでしょう。彼らは常にアレであり、そして常にアレであり続けるだろうと。

D:パーパージー、あなたは自分自身をグルと思っていますか?

P:いいえ、まったく思っていません。[笑い]「私はグルです」とは、決して言いません。

D:あなたの帰依者であり弟子であると思っている人たちについては、どう思われますか?彼らはあなたの帰依者ですか?

P:グルがいないなら、どんな帰依者の問題もありません。彼らが私に会いに来 るとき、私は歓迎します。来る人は誰でも、私は歓迎します。彼らが来なくなっても、私はそれでも彼らの幸運を願います。そして彼らが私から去っていく時、 「さようなら。どこにいても幸福でいてください。」と言います。

D:彼ら自身のセルフを探求するために、あなたのところへやってくるすべての人を、あなたは勇気づけています。なぜあなたは、このようなことをされるのですか?その動機は何ですか?

P:私自身の幸福からです。人々は[欲望に目ざめて、真理には]眠っています。彼らの心の中に宝物(セルフ)があるのに、全く苦しんでいます。この世界のすべての人々は、[セルフとは別の]対象に平和と幸福を見い出そうとして、苦しんでいるのです。彼らは一つ一つ[欲望]対象を追い求めて体験し[続け]ますが、これは苦悩と不幸に終わるだけです。あなたの心に幸福と平和を取りもどすことができる対象や人や物や概念はありません。そこで私は彼らにただ話して、この知識を与えるだけです:「あちこちを見て[欲望対象を探し求めて]はいけません。平和はあなたの内にあり、万物のハートの内にあります。だから、心を静かに保ちなさい。どこをも見てはいけません。あなたの心をどこかに留めてはいけません。そうすれば、ソレ自体(ハート=セルフ)が平和であり幸福であることがわかるでしょう。それが、根本的な真実です。世界のあらゆる存在(の本性)は、幸福そのもの(ハート=セルフ)なのです

D:あなたのところへやってくるほとんどの人たちは、あなたは単なる知識以上の何かを与えてくれると思っていると私は考えています。あなたの存 在のもとでは、あなたが指摘するものを見い出すことができる「ある力と」恩恵があると、彼らは感じているのだと私は思います。この点について、どう考えられますか?

P:その通りです。私は恩恵と美の本源である彼ら自身のセルフを指摘しているのです。その場(セルフ)で愛と平和もまた起きます。私は次の事を述べることにより、コノコトを示します:「一秒間あなた自身の内[のセルフ]を見なさい。あなたは探し回って見つける必要はありません。ただあなた自身の内[のセルフ]を見なさい、そうすればあなたは平和そのものであることがわかるでしょう。」私はただコノコトを示すだけです。人々は眠っています。彼らは夢を見ているから、目をさましてあげるほうがよいのです。これらの夢は、ただ心の投映(想像物)でしかないのに、彼らはそれらを真実だと考えてしまっています。[その事が]彼らに多くの苦悩を引き起こしている[原因な]の です。もしあなたが夢の中で虎を見れば、恐怖を感じるでしょう。もしあなたが夢の中で強盗に襲われたら、恐怖を感じるでしょう。すべての心の投映をやめなさい。夢は夢でしかないことを知りなさい。それは真実でないことを知りなさい。あなたが見るものはなんでもただ夢でしかありません。対象があるところ、見 るものと見られるものとがあるところには、夢があります。もし対象とそれらを見る主体があるなら、[そこには]夢があります。しかし、もしあなたが主体と客体、そしてそれらの関係を、なんとかして取り除くなら、何が残りますか?[セルフが残ります。]

D:あなたに会いにきて、「パーパージー、私は苦しんでいます。」と言う人々を見るとき、あなたは彼らに慈愛を感じますか?また彼らが目覚めるとき、あなたは喜びを感じますか?

P:私は心から慈悲を感じます。それ以外、なにがあるでしょうか?苦悩したり、[セルフに目覚めず執着して]夢を見ているすべての存在に、私は慈悲を感じます。私はただ彼らに言うだけです、「目覚めなさい、親愛な友たちよ。親愛な子たちよ、目覚めなさい。まったく、苦悩というものは[実は]無いのです。それは単に、[分別によって生み出された]あなたの心の投映です。それは真実[在]ではありません。あなたは[分別である]夢を見ているのです。夢から目覚めなさい。そうすれば、[分別の夢である]苦悩は終わるでしょう。」

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 02


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

2

D:笑いを止められなかったという肺が一つしかない日本人の教授の物語について、話してもらえませんか?それはあなたの教えに関して、非常によい物語だと思います。物語全体について話してもらえませんか?

P:[パーパージーは笑う]彼が到着したとき、私は家の二階で、数人の人々とサト・サンガ sat-saGga を共にしていました。彼は医者から、階段を上がってはいけないと言われていたので、私がおりていって、彼に会えるかどうかを、一階にいる人にたずねまし た。その人は答えました:「パーパージーは今、非常に忙しいのです。彼は二階でサト・サンガをしています。もしあなたが待てないのなら、上がって行って、 彼に会ってください。」彼は私に会いたいと強く望んでいたので、終わるまで私を待つより、階段を上がって行こうと決心しました。一階にいた人たちは、彼を 手助けしましたが、それでも彼は非常にゆっくりと、苦労してのぼりました。彼が着いたとき、私もふくめて、部屋の中のみんなが笑っていたところでした。彼 がいる間は、言葉による教えはありませんでした。みんなは、ただ笑い続けていました。私たちがなぜ笑っているのか、彼はわかりませんでしたが、彼もまた加 わって笑いました。

それから昼食の時間になったので、私たちみんなは食事のため、一階へおりて行きました。昼食の間に、彼は言いました:「私には一つの肺しかありません。 もう一つは、手術で取り除かれました。私の医者は、肺に非常な負担を与えるから、階段をのぼったり、笑ったりしないようにと、命じていました。もし私が 笑ったり、階段をあがったりしたら、その激しい活動から肺を回復させるため、薬を飲むことになっていました。しかしここでは、私は薬を飲む必要性を、少し も感じません。それどころか、私はもう一つの肺が戻ったかのように感じます。それから彼は、再び笑い始めました。彼が私といる間、彼はどんな質問もしませ んでした。彼は、ただ笑い続けるだけでした。それは彼に負担にならないので、薬を飲む必要がまったくありませんでした。その後、彼が日本へ帰った後、私に 会うように、彼の学生のひとりを送ってよこしました。教授が日本へもどった後、教授は次のように聞かれたと、この学生は話してくれました:「らックナウか ら何を持ち帰ったのですか?プーンジャジーの教えは何ですか?」教授の唯一の答えは、笑い始めることでした。彼はずっと笑い続けました。笑いがとうとう納 まったとき、学生は再びたずねました:「プーンジャジーの教えは何ですか?」すると彼は答えました:「笑うこと、笑うこと、そして踊ること。」人が笑って いるとき、その人には、心も思いも問題も苦悩もありません。


D:笑いが続いている限り、[思い・問題・苦悩のような][の活動]はありません。心は無いのです。

P:自分で試してみなさい。[笑い]笑わない人たちには、[考えている]心が有ります。彼らはとても深刻に見え、多くの問題を抱えています。彼らは心を持っています。それは、何かの問題や苦悩にとっては、[それを思う]心を持つ必要があるからです。それが苦しむ心というものです。わかるでしょう。そこで、あなたの問題を笑いとばしなさい。何か問題がやって来たら、笑いとばしなさい。あなたが笑うなら、問題は立ち去るでしょう。それは逃げて、飛び去るでしょう。

D:それで、笑いは、苦痛や苦悩が無いということへの反応(証明)である。あなたはそう言われているわけですね?

P:どういうことですか?

D:すべての精神的な問題が去ってしまったとき、自然に笑いは起きますか?

P:もちろん、そうです。自分のすべての問題を取り去った人だけが、笑ったり踊ったりします。自分のすべての問題を解決したとき、その人だけが踊ったり笑ったりするものなのです。昔、ひとりの聖者が山の頂に住んでいました。ある満 月の真夜中、彼は笑い続け始めました。村のみんなは目をさまし不思議に思いました。「聖者に何が起きたんだろう?」彼らは丘の頂上へ行って、彼にたずねま した。「聖者様、何が起きたのですか?」聖者は笑いながら答えました。「見なさい!見なさい!見なさい!見なさい!雲がある!雲がある!」多くの人たちが 雲を見るけれど、雲を見てだれが笑いますか?心を持たない人だけ[が笑うの]です。彼が見るすべてが、彼に笑う機会を与えるでしょう。なぜなら彼がそれを見つめる時、彼はそれそのものになっているからです。雲はそこにあり,月はそのうしろにあります。あなたが[考える]心を持たないなら、この見ることそのことだけで、あなたに笑いを生じさせることができるのです。

D:それで、パ-パ-ジ-、あなたは世界を見るとき、たいてい笑っています。あなたは、それはすべて全く冗談だと思っていますか?

P:[笑い]私は冗談を言うだけです。何かほかにありますか?私は何も経典を学びません。私は決してどんな経典も学んでこなかったし、どんな経典にも言及しません。私はただ冗談を言うだけです。[さらに笑う]

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 03


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

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D:パーパージー、私たちは多分あなたの事や、あなたの教えについて、あまり知らない外国のテレビの視聴者のために、この映画を制作しています。彼らが理解できる言葉で、光明(悟り)とは何かを、正確に話してもらえますか?

P:光明(悟り)とは、感覚的な楽しみに、どんな満足も見い出せないでいる人たちのためのものです。それは物や対象にうんざりし、それらに楽しみを見い出せない人たちのためのものです。自由・光明(悟り)への願望は、永遠の幸福が、感覚的な快楽の中には見い出すことができないということを、人が理解し始めたとき起きます。五感が[受け取り]記録する対象は、あなたに永遠の幸福を与えることはできません。五感が受け取り記録しているなにかの対象に欲望を持つなら、その欲望が達成されたそのとき、すぐに幸福になれるでしょう。しかし、あなたに幸福を与えるのは、対象そのものではなく、対象への欲望の達成[という自分の心の内部問題]な のです。欲望がある時、まだ何かを達成したいとか得たいという望みがある間は、幸福はありません。欲望は、達成されたその時だけ無くなります。その時は、 思いも無く欲望も有りません。あなたが注意深く自分自身の体験を見つめるなら、幸福は思いや欲望が無いときだけ自然におき、思いや欲望がよみがえるとき幸 福は消える、ということを見い出すでしょう。このことから、どういうことが推定できますか?簡単に結論すると、思いや欲望が無いとき幸福はおき、[反対に]思 いや欲望が有るとき、幸福はもう感じることはできない、ということです。ですから、幸福はさらに多くのものを求める事には無く、思いの無い空 [= thinking-less I AM] の中に在るのです。色々な対象やそれらに対する欲望は一時的で、それらは現われ来たり消え去ります。現われたり消えたりするものは、永遠ではありません。 あなたが永遠の幸福を望むなら、去来するものを追いかけても決して得られない、ということを理解すべきです。

 無思考・無欲という空(くう)は、 永遠です。それは、真実の永遠の幸福の根源です。事実、それは幸福そのものなのです。あなたがこのことを理解して、完全に受け容れたなら、心はもはや外的 な満足に手を伸ばしません。なぜなら、手を伸ばす行為そのものが、欲望と苦悩を引きおこす原因となることが、わかるからです。あなたがどこか他に幸福を探 す必要性を感じず、空(くう)す なわち永遠の幸福にとどまることができる時、あなたは欲望と苦悩から自由になります。その自由(悟り)が光明です。いったんあなたが、その状態に自分自身 を確立したなら、もはやこの世の中で心配したり、何かを追いかけたりする必要はありません。この世界の人々や物事はまだそこにあります。しかしそれらは、 どんな困難や苦悩の原因にもならないでしょう。なぜなら、それらを通じて喜びと幸福を得ようとする欲望は、決しておこらないからです。空・幸福は、活動的な世俗生活を送っても、決して減少しないでしょう。なぜなら、前には悲惨や苦悩や失望に終わった思いや欲望は、絶対に起きないだろうからです。

あなたが自由を得たいという願望を持ち、永遠の幸福は世間的な快楽を追い求めても得られない、ということを理解し始めたなら、完全な存在
(セルフ)を 探求すべきです。真実と永遠の幸福の状態に、自分自身を完全に確立した人。ハ-トが完全そのものであるそのような存在は、あなたの内にある幸福と空をあな たに気づかせることができます。彼はその思いの力、あなたを見つめること、あなたに触れること、あるいはただ静かにしていることによって、それをするかも しれません。そのような存在者との触れあいにやってくる人はだれでも、彼の臨在によって利益を受けるでしょう。そのような完全な存在者は、自我の感覚、つ まり個人的な感覚を持っていません。彼のところへやってくるだれもが、彼の面前に存在することによって利益を受けますが、完全な存在者はだれかを助けてい るとは決して思っていません。なぜなら、彼と別個に独立して存在している者はだれもいない、ということを知っているからです。あなた方みんなは、それぞれ に独立した心と体を持つ人間である、と信じている誤りを犯しています。この概念(とらえ方)は、まさに思いにすぎません。

 完全な光明(悟り)を得た存在者に直面して、あなたが本当は真実在 sat であることに気づくとき、この個我の思いは消え去ります。無我としての空、光明(悟り)を得た存在者のもとであなたが体験する純粋な幸福としての空は、真実在ソノモノの直観智です。私は決してだれにも、世を捨てることを忠告しません。これ(世捨て)は、光明(悟り)を得るための道ではありません。それ(世捨て)は、何千年間も西洋と東洋で試みられてきましたが、なにも良い結果をもたらしませんでした。私の忠告は違います。私はただこう言うのです:「静けさを保ちなさい。あなたがどこにいて[どんな状況にあって]も、そこに留まり[知足し]なさい。世間的な行為・活動を排斥して[全てはセルフ=全体宇宙生命であることを忘れて]はいけません。一瞬間[でいいから]ただ心を静かにしなさい、そして[その静けさと共に]起こることを見なさい。」

 これは、とても新しい考え方です。だれかが前に、このことを表わしたことがあるとは、私は思いません。昔は、光明(悟り)を得るために、人々は何年もの間、人里離れた場所で苦行をしたものです。王たちでさえ、自分の王国を捨て、森へ行き、光明(悟り)を得るために、自分のすべてのエネルギ-を捧げたものでした。しかし、それはうまくいきませんでした。なぜでしょう?なぜなら、自由・光明(悟り)は、勝ち得たり[失ったり]で きるようなものではないからです。ソレはあなた自身のセルフとして、あなたの内に、今ここすでにあるのです。あなたはソレを探すために、どこか他へ出かけ るべきではありません。それは、あなたが自分自身について持っている誤った観念によって、おおい隠されているのです。あなたは、「これは私の体です。これ は私の心です。」と考えます。これらの観念は、あなた自身の[真実在としての]本性に気づくのを妨げるじゃまものです。あなたがそれらの観念を取り除くなら、あなたは自由です。あなたはこれらの観念を、[いつ]どこで[で]も取り除く事ができます。あなたは、それらの観念を捨てるために、[わざわざ]森へ行く必要はありません。

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 04


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

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D:西洋の人々は、霊的な教師たちから、常に忠告を与えられています。教師たちのだれもが、彼らに言います:「あなたは我々のグル-プに加わり なさい。そうすれば、あなたは幸福になるでしょう。あなたは、我々の忠告に従いなさい。そうすれば、あなたは幸福になるでしょう。」あなたの教えとの違い はなんですか、そして人々はなぜそれを信じるべきなのでしょうか?

P:彼らは人々に忠告し、彼らをだめにしてしまうのです。私はそれらの教師や説教者達を拒絶し、私のところへ来るように言います。私はあなたによい忠告を与えましょう。どんな人の忠告も聴いてはいけません。私のでさえもです。あなた自身の内をのぞきなさい、そしてあなた自身の声を聴きなさい。あなたは、何を聞くでしょうか?どんな忠告も聴いてはいけません。なぜなら、全ての忠告は 過去に属するからです。だれかがあなたに何か忠告を与えるなら、その忠告は忠告者がかつて聞いたり、読んだり、体験したなにかから来たものです。それで、 すべての忠告は過去から来るものです。あなたは、あなた自身のセルフを知るのに、どんな忠告も必要ではありません。それで、だれの忠告も聴いてはいけませ ん。ただ静けさを保ちなさい。これが、最上の忠告です。私は、人々に言います: 「静けさを保ちなさい。たった一瞬でいいから、考えたり、どのような努力もしてはいけません。」これが、私の忠告です。そしてそれに従うなら、あなた自身 のためばかりでなく、みんなのため、世界のすべての存在のために、あなたは大変良く実行したのです。

D:そうすると、「静まりなさい」という忠告以外のどのような忠告にでも従うことは、セルフの方に向かうのではなく、セルフから遠ざかるのですか?

P:もちろん、そうです。それはあなたを過去に連れていくので、そうに違いあ りません。私は繰り返します:あなたが言及することができるどの忠告も、それを聞いたり、あるいは読んだりしただれかから来たものです。それは、すべて過 去から来たものです。それは、あなたがたった今この瞬間にあるあなたを示すことはできません。あなたのところへ来る、どのような教訓も信じてはいけませ ん。あなたの感覚があなたに送っている情報さえも、信じてはいけません。すべての忠告を無視しなさい。そして、諸感覚があなたに与えるあらゆる情報を超え なさい。その時、そしてその時だけ、あなたはあなたであるもの(セルフ)をわかるでしょう。あなたは、幾百万年間も感覚的な快楽を味わってきました。今はじめて、あなたは人間の形をまとっています。それ(セルフの覚知)に 全力を尽くしなさい。どんな忠告も聴いてはいけません。忠告者たちは、良い結果を示してきていません。忠告者たちは、あなたの教会に属さない隣人たちや他 の全ての人々と、戦うことや論争することをあなたに教えるだけです。そしてあなたが彼らの忠告に従うなら、ある他の教師たちはあなたに言うでしょう:「い いえ、彼らの忠告に従ってはいけません。私の忠告に従いなさい。」いったんこうなると、争いは避けられません。

D:パーパージー、あなたは、自由への強い願望が必要とされると言います。ほかに、どのような資質が必要ですか?

P:これは、資質と呼ばれるものであるとは思いません。それは、自然に内部から起きてきます。それは少数のまれな人たちだけにおいて内部から起き、胸で踊ります。欲 望が感覚対象に対して起きるとき、あなたは外的対象に向かい、その対象と出会うことで幸福になります。しかし,自由は客体でも主体でもありません。自由へ の願望は源から起き、源で戯れ、源に落ちつきます。その願望がある時、ソレはソレ自身とともに遊び、しばらくの間楽しみ、それから落ちつきます。起きるこ とそして落ちつく事は、決して問題ではありません。なぜならソレが起きようが起きまいが、ソレはいつも同じ[実在]なのですから。[たとえば、ゆげが見えなくなった後も、その構成元素 H20 が存在しているように。]「自 由への願望が起きてはまた消えます。」と人々が言う時、彼らが言っているのは、その他の時間は、他の欲望が起きたりやんだりしているということです。同様 に、「自由への願望が私にわきあがった」とあなたが言う時、願望が無かった時が有った、ということを暗に意味しています。私自身はと言えば、自由はいつも 私と共に有ったので、自由への願望が起きるのを決して感じませんでした。まさしく幼年時代から、自由は私と共に有りました。

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 05


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

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D:パーパージー、私たちは何かに信仰を持つ必要がありますか?私たちはグルの言葉を信じる必要がありますか?私たちは、自由を得ることができることを信じる必要がありますか?私たちは何かに信仰を持つべきですか?

P:ええ、もちろん信仰を持つ必要があります。あなた自身のセルフへの信仰です。「私は自由です」という信仰です。あなたが何かに信仰を持ちたいなら、あなたが持つことができる最上の信仰はこれです:「私はすでに自由です」。あな たは今、「私は苦しんでいる。私は束縛されている」と、信じています。そのかわりに、なぜそれを「私は自由です」という最上の信仰に変えないのですか?ど ういう違いがあるというのですか?

D:人が「私は自由です」という完全な確信を持つなら、その時その確信は体験となります。それが、あなたの言おうとしていることですか?

P:いいえ、体験[という一時的現象]で はありません。自由は体験ではありません。体験は、いつも何か他のものと共にあります。自由への願望は最終的には消え去り、自由だけが残ります。自由がソ レ自身を知るとき、ソレだけが残ります。今のところあなたは、他の欲望で忙しいのです。それらの欲望が全くあなたから去ってしまった時、自由だけがとどま り、あなたにそれ自身を明らかにするでしょう。

D:パーパージー、あなたは悟りを得るのは非常に簡単であると言います。けれども、セルフに完全に目覚めた人の数は、指で数えられるくらいであると、あなたがしばしば言っているのを私は聞いています。そのように簡単なら、なぜわずかの人だけしか成功しないのですか?

P:あなたはそれのために努力をする必要がないので、とても簡単なのです。あなたはそれを得るためにどこかへ行く必要がないので、とても簡単なのです。あなたがすべき事は、静けさを保つことだけです。ですから自由を達成するのは、 とても簡単な事です。心が常に何か他のものにとらわれているというだけで、それは困難であると人々は言います。自由ソレ自身は、困難ではありません。困難 なのは、他のものに対する執着を捨てることです。あなた自身を執着から解放する事が、たぶん困難なのでしょう。あなたはそれをする(執着を捨て、自由を得るための)決心をすべきです。あなたは今決心することができます。そうしないと、来世まで遅らせてしまいます。

D:自ら解脱しているグルを持つ必要がありますか?

P:絶対に必要です。それ以外に、どのようにして、あなたが正しい道を歩んでいるかどうかを知る事ができますか?

D:パーパージー、西洋の多くの人々は、解脱したグルを探すのに多くの時間を費やしてきました。彼らはどのようにして、そのグルを見つけることができますか?グルを見つける方法として、あなたは彼らにどのような忠告を与えますか?

P:彼らはグルを見つけることはできません。彼らはグルを見つけることはできません。本当のグルは、目で見ることはできません。人々が自分の感覚を通じてグルを見つけようとしても、グルはどのような感覚や判断をも超えているので、 正しい判断はできないでしょう。あなたが自由になりたいと思う時、自由ソレ自体はすでに存在しているのです。しかし、あなたは自由にゆだねる習慣を身につ けてきませんでした;あなたは自由の語法(コトバ)、空の語法(コトバ)、愛の語法(コトバ)[つまり、それらが意味していること]を知りません。あなたはあなた自身を[自由以外の]他 の対象に売り渡してしまったので、これらのことを理解できません。それで、この自由は実際に何であるかということを、あなたは理解できません。しかし、そ れでもあなたはソレに対する強烈な願望を持っています。この強烈な願望が起こる時、自由は慈愛から、あなたが自由とは実際には何かを理解できるように、あ なたが使っている言葉であなたに語りかけるために、自由は[グルという]肉体の形をとります。その時、自由はあなたに教えます:「私はあなた自身のセルフです。」自由はあなた自身のセルフに入り、そしてソレと一つになります。このこと[すなわち]、「私はあなた自身のセルフです。私はアレ自身です。」とあなたに指摘することが、グルの役割です。これがグルの役割です。というのは、いつか自由はあなたはアレ(セルフ)であるという事実を、あなたにまさしく知らせるためのグルになります。あなたは常にあなたの内にある、人格を持たないアレ(セルフ)に耳を傾けません。それで、カレはグルになります。ソレは「あなたはアレ(セルフ)自身です」ということを、あなたに知らせるために、グルになります。あなたがこれを理解するとき、あなたはあなたとグルは一つである(同じセルフである)ということがわかります。

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 06


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

6

D:パーパ-ジ-、ラマナマハルシは、人は誰が本当のグルであり、またそうでないかを見る事はできないということも言っています。しかし、人が 探すべき二つの目印があると、彼は言っていました。人が彼の存在のもとで、平和を感じるかどうかを確かめるべきです。そして彼がまわりの全ての存在に対し て、平等にふるまうかどうかを注視すべきです。これらのことは、役にたつ指摘であると思われますか?

P:もちろん、私はそう思います。あなたはグルが与える話によって、グルが発する言明によって簡単に迷わされてしまいます。しかし、あなたの心が彼のそばで静かであると感じ、ある種の幸福と平和を感じるなら、これらのことがグルの 外的な目印となります。誰でもが、この平和を感じられるわけではありません。熱心に自由[に成る事]に 専念する人だけが、それを感じる事ができます。それ以外の人たちは、それを感じる事ができません。そこで、あなたがグルのところへ行く時、ただ静かにして いなさい。あなたはどんな質問もする必要はありません。彼からどんな答も期待しないことです。静かに坐りさい。そしてあなたの心が静かであるかどうかに気 づきなさい。あなたの心が静か[になる]なら、この人はあなたに教えることができ、そしてそばに留まっている価値のある人であると結論できます。

D:パーパージー、あなたは人々がサト・サンガ sat-saGga で、解脱したグルと共に坐り、心を静かに保つことを忠告しています。グルが死に、肉体を伴ってのサト・サンガがもはや可能でない時、弟子は次に何をすべきですか?

P:彼が本当の弟子であるなら、グルがいつか死ぬという事を認めないでしょ う。体は死にますが、グルは体ではありません。すべての体は死ぬでしょう、しかしグルは肉体であったためしはありません。それで、グルは何か他のものであ ると弟子は知っているので、グルの体の死は彼にとって重要ではありません。グルはいつも弟子のハ-トの内に住んでいます。これを知っている弟子は、何も他のものを必要としません。彼は、「私はグルのいないことを寂しく思わない。私のグルは今ここ常に私の内にいる。」ということを、彼は完全に申し分なく知っています。これが、グルと弟子の関係です。

D:弟子が、そのような態度をとるなら、悟りはグルの死後[でも]可能ですか?

P:弟子が...?弟子が、「私のグルは死んだ体ではなく、私自身のセルフであった」という態度を持つなら、その時その態度でもって、彼はなおセルフを悟ることができます。彼は、肉体を持つ他のどんなグルをも探す必要はありません。グルは、弟子の体と心[に対する執着]を取り除く人です。彼がこの事をしなかったりできないなら、彼は本当のグルとして認容されることはできません。他のグルを探すために、あなたは心と体が必要ですね?あなたは、もう心や体を得る事がなかったら、あなたはどこを見るのでしょう?どう見るのでしょう?

D:パ-パ-ジ-、どうかあなた自身の悟りと、特にあなたのグルであるラマナマハルシが、そこにおいて演じた役割について述べていただけませんか?

P:それは、長い物語です。

D:短い説明をしてもらえますか?

P:それは、長い物語です。それについてすべて話すには、幼年時代から始めないといけません。しかし、私がラマナマハルシに会いに行ったところから始めましょう。私が彼のア-しラマ Azrama に入った時、すべては静かでした。すべては静かでした。この方は、静寂が顕現した寂静そのものでした。彼は誰かに話していたのではありませんでした。そこ には、とてつもない静寂がありました。私はそれほどまで静寂な人を決して見たことがありませんでした。彼に会いに来た人々の心は、彼が住んでいた居所[= 静寂]へはいりませんでした。彼はただ静かにすわっていて、そこには静寂がありました。彼は人々に「心を静かに保ちなさい。心を静かに保ちなさい。」とよ く話したものでした。しかし、たいていの人々は彼が言おうとしている意味を理解しませんでした。今日でさえ、人々は彼が言おうとしていたことをまだ理解し ていません。彼は自由になる方法や悟りを得る方法など、多くのことについてよく語ったものでした。そして、時々「あなたは恩寵が必要です」というようなこ とをよく言ったものでした。しかしたいていの場合、彼はタミ-ル語で「スンマーイル」と言いました。それは「心を静かに保ちなさい」を意味します。ほとん どの人々はその本当の意味を理解できませんでした。しかし、私はすぐその意味を理解しました。私は、最上の教えは「心を静かに保ちなさい」という事であ る、という私のグルと同じ考えなので、今では私はこの言葉を多く使います。静寂そのものである人が、あなたに静けさを保つよう命じるなら、その言葉には威 厳があり説得力を持ちます。それはすぐに影響を与えます。普通の人があなたに静けさを保つよう命じても、それは影響しないでしょう。しかし、静寂そのもの である人があなたに命じるなら自動的にあなたは静寂になります。

D:あなたが最終的にそれを得た日に起こったことを、説明してもらえますか?それはどのように起こったのですか?

P:私は幼年時代からクリシナ kRSNa の帰依者でした。非常な帰依者だったので、クリシナが肉体をまとって、私の目の前に現われるほどにさえなったものでした。私は普通のものを見ることができ るのと同じやりかたで、私の全感覚でクリシナを感知することができました。私は山の反対側のア-ディ・アンナマれーで、約4日間過ごしていました。帰って みるとマハルシは「あなたはどこにいたのですか?」と私に尋ねました。私は「山の反対側で一人でいて、クリシナと交遊していました」と答えました。 「オー、それはすばらしい、あなたはクリシナと遊んでいた!」と彼は大きな声で言いました。「そうです、私はクリシナと交流していました。彼は私の友人で す。」「あなたは今彼を見ていますか?」「いいえ、私は見ていません。」そうすると、彼は言いました:「現われたり消えたりするものは真実在 sat ではない。見る者が残りました。あなたは彼を見た。[けれども]彼は消えてしまった。[またある時は]彼は留まりました、それを見ている者は同一です。今、あなたはまたここにいて、見る者が残りました。さあ、見る者は誰かを見つけなさい。

この「見る者」は単なる言葉でした。しかしそれは私が見る者に変容したほどの、非常な衝撃で私を打ちました。私は見る者になりました。近頃では、私がサ ト・サンガを行なう時、私は人々に言います:「言葉にとらわれてはいけません。言葉の根源へ行きなさい。言葉が述べ示しているところへ行きなさい。あなた がこのことを実行するなら、直ちに真実の理解を得るでしょう。たとえばあなたが「自由」という言葉を言う時、すぐ自由へ行き、そこに止どまりなさい。だれ かが「昼食へ行きましょう」と言う時、食物について話されているので、突然あなたは食物と一体になります。私が「自由」という言葉を言う時、なぜあなたは これを行なうことができないのですか?私たちが自由について話す時、私たちは自由と一体になるべきです。そして私たちは自由の匂いをかぎ、自由を楽しむべ きです。しかしこれは起こりません。言葉は他の物事と共に、あなたを正しい場所へ連れて行きます。しかし私が「自由」という言葉を言うとき、あなたはそれ を理解するための正しい境地へ行きません。「自由」という言葉のために非常に多くのサト・サンガ、非常に多くのグル達が必要ですが、まだ真の意味は把握さ れていません。何が間違っていますか?私達は
[自由以外の]何か他のものに結びついています。

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 07


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

7

D:パーパージー、西洋の多くの人たちは色々な瞑想のテクニークを試してきました。ある人たちは、何年も非常に熱烈に瞑想をしました。このよう な瞑想は悟りをもたらさないだろうと、あなたが何度か言うのを私は聞きました。なぜ、あなたはそのように考えるのかを説明してくださいますか?

P:まず第一に、瞑想はあなたの体と心を疲れさせるだけです。それであなたは それにうんざりさせられるでしょう。その時、他の考えがあなたの心に浮かぶことがあります:「多分何か他の方法がある…」。この思いと共に、あなたは真実 のグルの探求を始めるかもしれません。あなたが真実のグルを見つけるなら、彼は瞑想するよう言わないでしょう。そしてまた[他の]何 らかの方法も与えないでしょう。彼はただ「静かに在りなさい」と言うでしょう。彼はあなたに何か行なうこととか、何かをやめるようにとは言わないでしょ う。あなたが行なうべきこと、あるいは行なうべきでないことの助言は、グルからでなく説教者から来ます。真正のグルは、教えや命令事項(ニヤマ)や禁止事 項(ヤマ)を持ちません。彼は単に、あなたに「静かに在りなさい」と言います。グルが言い得るのは、それ以外に何もありません。これは有効に作用するで しょう。これが、グルが教えることができる最上の教えです。私が以前にあなたに話していたように、彼が「静かに在りなさい」と言うなら、あなたは単に言葉 を聞くのでなく、あなたは実際に静寂になります。何が障害なのですか?なぜみんなはそれを、非常に難しいと思うのですか?

それはサト・サンガ sat-saGga でも同じです。私は人々に「探求しなさい、調査しなさい、"私は誰か"と自分自身に尋ねなさい」と言います。そうすると彼らは答えます、「私達はできませ ん。私達はできません。私達は試してきましたが、それは私達に困難です。私達がそれを行なう時、多大の緊張と頭痛を伴います。」あるまれな人だけがそれを 達成します。他の人々は、心が他のものに占められているので失敗します。なぜそ うなのか、私にはわかりません。なぜそれが突然ある人々には有効に作用し、他の人々には作用しないのかについて、私はあなたにどのような説明も与えること はできません。あなたが静かに在るなら、寂静と平和であるアレと愛に落ちるでしょう。人が何をしていようと、誰にとっても、幸福と平和が必要です。そし て、この寂静以外のどのようなものの中にも、幸福や平和や愛や美はあり得ません。それは今ここ常に、あなたの内に在ります。ですから、あなたはどのような 瞑想も必要でないと、私は常に言っています。あなたは瞑想するとき心が必要ですし、そしてあなたが心を使うときはいつでも、結果は観念的になるに違いあり ません。あなたはまた、あなたの体を必要とします。あなたは、特別な仕方で両手と両足の位置を定めて、特別な姿勢で坐るよう指示されます。肉体の行為はあ なたに肉体的な結果を与え、精神的な行為は精神的な結果を与えます。しかし、私が話していることは、体や心を超えています。それは、精神や肉体の媒介を通 じて近づく事はできません。ある霊的な考えがあなたに良い印象を与え、それに従うなら、結果は知的
[というだけ]で あるに違いありません。そこで、すべての考えを放棄しなさい。肉体的、精神的ないし知的手段を通じて、この寂静に近づこうとしてはいけません。すべての概 念やすべての考え、あなたが聞いたり読んだりしたすべてのものをただ捨てなさい。そうすればあなたは、あなたが空ソレそのものであることを見い出すでしょ う。

D:多くの人々は平静・静寂であることを試みてきました。しかし彼らは成功しませんでした。彼らは何を間違っているのでしょう?

P:彼らは、静かに在るための計らいを捨てるべきです。彼らが静かに在ることができないなら、私は彼らに「静かに在るための計らいを捨てなさい」と言うでしょう。彼らがそれを行なうなら、何が起こるでしょうか?

D:パ-パ-ジ-、あなたはしばしば人々に「私は誰か」と自分自身に尋ねるように言います。他の方法のすべてが失敗する時、なぜこれが有効に作用するのですか?

P:なぜなら、これは方法ではないからです。他の方法は枝を切るだけです。しかし探求は心の根[であるエゴ]を 直撃します。あなたが枝を切っても、しばらくするとそれはまた生長してくるでしょう。しかし、あなたが心の根に向かいそして根を引き抜くなら、それは決し て復活することはできません。探求は、心を根こそぎにします。あなたが「私は誰か?」を探求するとき、心の根を直撃してそれを永久に破壊します。実際にお いて、より正確に言うなら、探求を通じて心はまったく無いことをあなたは見い出すだろう、ということです。「私」は心です。あなたが「私は誰か?」と自分 自身を探求する時、「私」は心の本性を見い出すために、自分自身を尋問しています。これまで誰も「私は誰か?」と尋ねませんでした。誰も。人々はいつも 「あなたは誰ですか?、彼は誰ですか?、彼女は誰ですか?」と尋ねています。しかし、誰も決して「私は誰か?」と尋ねません。あなたが初めてこのように尋 ねるなら、単に心の根を直撃しているばかりでなく、「私」[すなわち]心はすべての創造の源であるので、すべての創造の根を直撃しているのです。あなたが探求をする時、消え去るのは単に「私」だけではなく、創造(世界)もまた消えます。あなたは、創造者も創造も創造されたものも無いことを見い出します。この「私は誰か?」[という探求]は、そのように強力な手法なのです。それはセルフの深みへあなたを連れて行き、その場で、あなたも創造も決して存在しなかったということを見い出します。

D:多くの人々は「私は誰か?」と探求してきましたが、正しい答を得られませんでした。心はなお残りました。彼らは正しい答を得るまで、探求を続けるべきですか?

P:いいえただ一度だけです。あなたがそれを正しく行なうなら、ただ一度の探求が必要なだけです。あなたがそれを正しく行なうなら、[探求はエゴという]正 しい場へ行き当たるでしょう。あなたが「私は誰か?」と探求する時、どのような答も期待してはいけません。あなたは、答を得るだろうという期待を、排除す べきです。あなたは、成功するとか、答を得るとかの計らいを持って、探求をすべきではありません。この探求の目的は、答を得ることではありません。むし ろ、川が海へ合流するのと同じように、それは合流することです。それは川のまま残るために海へ行くのではなく、海で川自身を失うのです。「私は誰か?」の 探求において、神・セルフ・空そのものへの融和合一があります。ただ静寂を保ち、そして何が起きるかを確かめなさい。この探求の間、答を期待すべきではあ りません。探求が終わった時、「私」もまた終わります。「私は誰か?」この「私」の後に何が来ることができますか?あなたは「私」が解放された「アレ」に なります。その場は空[=無我]に違いありません。

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 08


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

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D:パー パージー、あなたはしばしば「真実は神聖な人格にまで高める」と言います。あなたはまた、神聖な人格は心がしみ一つなく、純粋で、純潔な人であると言いま す。それなのに同時に、あなたは彼らの心をしみ一つなく、純粋にまた純潔にすることを、決して誰にも求めません。私達が心を純粋で、しみ一つなく、純潔に するために何もしないなら、真実はどのようにして私達を高めることができるのですか?

P:あなたは心を純粋にすることはできません。心そのものがほこりなのです。ほこりでほこりをきれいにすることはできません。あなたがきれいにしたいと思っている、ほこりをかぶった鏡を持っていると、想像しなさい。あなたはさらにほこりを持ってきて、最初の層へそれを加えます。これが[世で言う]心の掃除、[つまり]ほ こりへほこりを加えることです。瞑想やヨ-ガを通じて心をきれいにするというあなたのすべての企ては、すでにそこにあるほこりにほこりを加えるだけであ る、という理由から失敗するでしょう。そこで、私が言うことは「静寂でありなさい」です。静寂であるなら、あなたは鏡そのものを取り除いています。それ で、ほこりはどこにも付くことはできません。私が神聖と言うのは、このことなのです。真実は神聖[度]を 高め、そしてあなたは心の鏡を取り除くことによって神聖になります。あなたが自分の前に鏡を持つなら、あなたの顔がその中に写し出されるでしょう。この映 像はしみのような不純物です。そのしみがそこに有る間は、あなたは神聖ではありません。どのようにしてその映像を除去できるでしょうか?簡単です。あなた は鏡を放り投げればいいのです。そのとき映像に何が起きるでしょうか?それはあなたの顔に戻るでしょう。あなたが一瞬、ほんの一瞬心を放り投げるなら、神 聖はソレ自体を明らかにし、あなたはその神聖に還元融和するでしょう。それで、私は「真理は神聖な人格を高める」と言います。あなたがまわりに見るすべての対象は、あなたの心の鏡の中の映像です。[エゴが知覚する]すべての対象は、ほこりです。[エゴに基づく分別心という]鏡を放り投げなさい、そうすれば心も対象もほこりも無いでしょう。

D:パ-パ-ジ-、多くの人々は悟りは困難な長い準備期間の後に達成されるものと考えています。この信念の何が間違っているのですか?

P:これは最初から最後まで間違っています。[エゴに基づく]全ての信念は間違っています。なぜあなたは何かを信じなければいけないのですか?あなたは、自分がデイヴィド・ゴドマンであることを信じる必要がありますか?あなたはその事について、本当に確信しているのではありませんか?あなたは[その事を]誰 かにたずねる必要がありますか?あなたはマどぅカルへ行き、「どうかデイヴィド・ゴドマンはどこにいるか教えてください。彼はこの家に住んでいました。」 と言いますか?その人はあなたに、「あなたはデイヴィド・ゴドマンですし、これはあなたの家です。」と言うでしょう。あなたは、自分が実は誰(=どういう存在)かという確実な知識と確信を、どのようにして失ったのですか?あなたが自分は誰なのかをすでに知っているなら、自分は誰なのかを見つけるための困難な準備に乗り出そうとはしません。あなたは誤った諸観念に囚われています。あなたはそれら(=誤った自己認識)を信じるので、あなたはすでにそうである[のに、自分を誤認しているので、そうである]もの(=セルフ)に成るために、何かを行なうべきであると考えてしまいます。あなたはこれらの事々(=誤った自己認識に基づく誤った努力)に固執し、あなたの本当の家がどこにあるのか(=真の自己認識)を忘れてしまいます。

D:パーパージー、これは西洋においては重要な問題だと思います。人々はたった今、悟りの準備ができているとは納得しないでしょう。[今ここ、エゴを捨てればセルフとして在ることが、わからないのです。]人々は何かを行なうべきだと思っています。

P:もちろんです。それは私がよく耳にすることです。それが、すべてのヨ-ガ 教師が西洋で非常に成功している理由です。私は小さな村でさえ、ヨ-ガセンタ-を見てきました。ヨ-ロッパには約 5,000 人 のヨ-ガ教師たちがいます。私は彼らの何人かと話をしましたが、彼らは皆非常にうまくやっています。私は彼らの一人に聞きました:「あなたは何を教えてい るのですか?」すると、彼は答えました:「90 歳まで若さと健康を保つ方法です。」これが彼らの大部分がねらっていることですし、それがあなたがヨ-ガから望むことなら、それを達成するためにヨ-ガは 役立つでしょう。西洋では、ヨ-ガに関する多くの本が売られています。私は道路わきの売店でさえ、ヨ-ガの本を見かけました。セックスのためのヨ-ガが一 冊ありました。あなたはそれを見た事があるはずです。それで、西洋で教えられているヨ-ガは、体の健康と活力を保つためのものです。私はデュッセルドルフ の一人の女性を思いだします。彼女は 20 歳代で、非常に善良で幸福に見えました。私は彼女が瞑想しているのを見ました、そこで私は彼女に聞きました:「あなたが瞑想するとき、何を瞑想するのです か?」彼女は答えました:「私は長く若さを保ちたいのです。私は今 27 歳です、そして 85 歳まで健康でいたいのです。」私は彼女にラトナ ratna という名前を与えましたが、それは「ダイヤモンド」という意味です。私は彼女のボ-イフレンドに会い、彼をラトナ・サガール ratna-sagAra と呼びましたが、それは「ダイヤモンドの海」という意味です。彼らは二人とも非常に善良な人たちでしが、彼らは瞑想から何の結果も得てはいませんでした。 誰も瞑想から真実の結果を得られません。

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 09


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

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D:パ-パ-ジ-、幸福について多少の質問をしたいと思います。全世界で誰も幸福な者はいない、彼らがそう思っているだけだ、とあなたが言うのを聞いたことがあります。あなたはこの事を、どのように正しいと言えるのですか?

P:なぜなら、誰もこの世界で幸福な人はいないからです。これは本当の事で す。私は誰も幸福な人を見てきませんでした。私は世界中を旅行してきましたが、私が訪れた各国で会っただれもが苦しんでいました。誰もが苦しんでいます。 最も金持ちの人でさえも。私はかつてスイスで、非常に金持ちの人に会いました。私はインドで彼の息子の世話をしていたので、彼に会いに行ったのです。この 息子はある精神的な問題を抱えていました。そこで誰かが彼に提案しました:「リシケ-シのプ-ンジャジ-のところへ行きなさい。彼といっしょにいたら、良 くなるでしょう。」この少年は約一年間、私といっしょにいました。彼は少しばかり偏執症ないし精神分裂症でしたが、私といた後良くなりました。彼はスイス へもどる前に私と共に、らックナウやハリドワールやリシケーシやデりーやボンベイなど、インド中を旅行しました。ヨ-ロッパへの私の次の旅行のとき、彼の 父は私が滞在するように招待してくれました。彼は、アパ-トの一区画の一番上の、回転するようになっている階に私を案内しました。この人は明らかに非常に 金持ちでしたが、彼は夜眠ることができませんでした。最初に彼はきまって少しの酒を飲み、それから3~4錠の睡眠薬を飲むのでした。それでも、彼は眠るこ とができませんでした。私は彼に聞きました:「なぜ眠れないのですか?私があなたを眠らせてあげましょう。あなたが眠りたいと思ったなら眠ろうと決心しな さい、そうすればあなたはいくぶん眠れると私は思いますよ。」彼の悩みは 5,000 の組立作業ラインの労働者達と、全ての管理職達から成る自動車工場を持っていることでした。それは非常に大きな組織の複合体でした。夜の間中、急を要する 処理や販売や予約などの[決断を求めるための]電話が鳴り続いていました。以上が彼の置かれた状態でした。彼はとても多忙だったので眠れませんでした。私 は「明日あなたの車で私と来て下さい。しかしどこへ行くかは聞かないで下さい。」と彼に言いました。翌日彼は言いました:「ある人々が注文をもってここへ 来たので、私は出かけられません。」あなたが心の内に今日とか明日、あるいは次の日にしなければならない何かの仕事をいつも持っている時、それらの思いがあなたの心の内で絶えず循環(グルグル回り)するでしょう。あなたがそれらの思いを拒絶しないなら、どのようにして眠ることができるのですか?

 西洋の人々はいつも働いています。彼らは眠る時間を持っていません。あなた 達は働くためだけに生まれてきたのですか、それとも安らかであるために生まれてきたのですか?西洋で何が起きているのですか?仕事、仕事、さらにまた仕 事。それは彼らの健康を犠牲にします、しかし彼らはそれでも休まないでしょう。それが彼らが幸福でない理由です;それが彼らが不幸である理由です。彼らは 思います:「私達は銀行の豊富な残高と良いアパートと最新型の車を得た。」しかしこれは人を幸福にする助けにはなりません。幸福になるための最善策は知足です。あ なたが持つものは何であれ、それで知足する事です。あなたが他の人々の富とあなたの富とを比べたいなら、あなたより少ない富しかないけれども幸福である 人々に目を向けなさい。どこかの億万長者を見て、あなたより金持ちだという嫉妬を感じてはいけません。あなたよりもっと困窮している人々を見なさい。「あ の人を見なさい。彼は乞食をしています。ありがたいことに,私は彼より暮らし向きが良い。私には食物があり、私の手に乞食の鉢を持つ必要はない。」あなた がこの態度をとるなら、あなたは良く眠れるでしょう。フォード自動車の創始者でオーナーのヘンリーフォードは、かつて世界で最も金持ちでした。しかし、彼 は存分に食べることはできませんでした。彼はかつて言いました:「従業員たちが昼食を食べている時、私は彼らを見つめます。彼らがどれだけの量を食べてい るのかを私は見ます。私の医者達が私にごく少量しか食べてはいけないと忠告しているので、それだけの量を決して食べられないだろうと私は感じます。私は一 回の食事で、2オンスだけ食べるのを許されているのです。」あなたは食べないために、そして眠らないために、この世へ来たのですか?あなたは死ぬ時残して いくことになるお金をかせぐためだけに、この世にいるのですか?私は「決してお金を得てはいけない。」とは言っていません。私は「かせぎなさい、働きなさ い、そしてじょうずに暮らしなさい、しかしこれらのもので[自己を]見失ってはいけない。」と言っているだけです。あなたはお金をかせぐためではなく、安らぎを得るためにこの世へ来たということを忘れてはいけません。

D:多くの人々は肉体の快楽にふける結果幸福を体験します。彼らが体験するその幸福は、あなた自身のセルフであることを知るのと同じ幸福なのですか、あるいは違った種類のものですか?

P:いいえ、違うものです。あなた自身のセルフとしてあることが、唯一の真実の幸福です。あなたがどこか他に幸福を求めるなら、あなたは自分を疲れさせるだけで、あなたが得ようと努力している幸福は真実の幸福ではないのを見い出すだけです。あなたが幸福を得るために何度もその過程を繰り返す必要があるなら、そのようにしてあなたが得るものは真実の幸福ではありません。あなたが毎回得た幸福の体 験は、あなたを充分に満足させなかったので、あなたは何度も同じ過程を繰り返したいと望みます。それがあなたが同じ事を繰り返す理由です。

D:パーパージー、私は過程について話しているのではなく、結果について話しています。私が何かの行為の結果、突然非常に幸福になるなら、私の幸福はあなたの幸福と同じですか、それとも違いますか?

P:幸福は一つです。幸福は一つです。しかし、それを持続的でない何かに帰する[=と同一視する]な ら、それは違います。あなたは「あなたの幸福」と言います。あなたが「私の」幸福とか「あなたの」幸福と言う時、それは私が言う幸福とは違います。私は 「私の」幸福とか「あなたの」幸福でない、属性の無い努力せずに得られる幸福を言っています。これが唯一の違いです。あなたは「私の」や「あなたの」[という言葉]を使っています。あなたが「あなた」や「私」[という言葉]を取り除くなら、違いはありません。

D:エクスタシー(喜悦)とか至福についてはどうですか?それらは心の体験ですか、それともセルフからのものですか?

P:エクスタシーは心の状態です。しばらくの間、それは留まるでしょう、それ からそれは再び衰え消え去るでしょう。多くの人々は詩を聴いたり、歌を歌ったり、何か他の手段によって、それだけでエクスタシーの状態になります。人はエ クスタシーの状態になることができます、しかしそれらは一時的な状況に依存しているので消え去ります。至福は違います。それは日の出前の夜明けにたとえる ことができます。夜明けが来る時、太陽はまもなく昇るだろうとわかります。太陽はそこには無いけれども、ある印が地平(水平)線の上に現われています。そ のように、あなたがある至福を感じ、それを何かの外的な対象のせいにしない時、あなたはセルフの夜明けに意識集中しているのです。太陽が昇るのを見るため に太陽の光がやって来る方向、西ではなく、東を見るべきです。至福がやって来る時、至福に集中しなさい。至福と一体になりなさい。あなたが、至福がそこか ら発しているアレ (tat = sat) を体験する時、至福は捨て去られるでしょう。至福もまた心の状態です。結局それは捨て去られるでしょう。

D:私たちはそれを意識的に捨てるべきですか、それともそれは自動的に起きるのでしょうか?

P:それは自動的に起きるでしょう。

D:ある人々は至福は悟りへの障害であり、究極の体験は平和と寂静であると言います。

P:これはヨーガから来ている認識(法)で す。歓喜鞘であるアーナンダマヤ・コーしゃ Anandamaya-koza は、「私」を限定する五つの鞘の一つです。最初は肉体の鞘であるアンナマヤ・コーしゃ annamaya-koza、それから感覚あるいは生気の鞘であるプラーナマヤ・コーしゃ prANamaya-koza、それから意思鞘であるマノーマヤ・コーしゃ manomaya-koza、それから理智鞘であるヴィジニャーナマヤ・コーしゃ vijJAnamaya-okoza、最後に歓喜鞘であるアーナンダマヤ・コーしゃ Anandamaya-koza があります。ヨーガ体系では、歓喜[鞘]を含めて、これらの五つの鞘の全てを一つずつ排斥しなければいけません。あなたはこれらの鞘に対する執着を、一つ ずつ取り除かなければいけません。あなたが肉体や感覚や心や知性に対する執着を取り除く時、至福がやって来るでしょう。至福は知性が去る時、そこにあ(らわれ)るでしょう。しかし、それに執着してはいけません。ほとんどのヨーギン達は至福の状態に執着し、それを超越しません。これは至福状態を得ることをねらうヨーガ体系の結果です。この最後の鞘(身心構造層)に執着してはいけません。至福に満足してはいけません。静まりなさい、そして至福がアレになるようにしなさい。心がますます至福を吸収するにつれ、心は至福[そのもの]に なります。しばらくすると、至福を捨てるという問題は無くなるでしょう。なぜなら自由ソレ自身が反対側から、つまり心を超えた無心の境地から、あなたを受 容するためやって来て、あなたを抱擁するからです。その段階では、誰も至福を拒絶することはできません。あなたが至福を感じることができるなら、あなたは 非常に良く行なったのです。セルフ=アートマンの至福はアートマーナンダ Atma-Ananda と呼ばれます。それはアートマン・ソレ自身の形を取るでしょう。あなたがこの状態に達する時、すべてのものは過ぎ去ってしまうけれども、それはまだ最後の 状態ではありません。心に関係のある「無[我]心」は[個我心を破壊して]なお生き生きと[実在]しています。あなたがこの無[我]心という状態に達することができるなら、あなたは非常に良く行なったのです。あなたがこの段階に達する時、あなたの仕事は終わりです、なぜならその時以降は。それは超越(=セルフ)の作業[だから]です。この超越(=セルフ)は 不可思議なものです。それはあなたをつかまえ、とても素晴らしい仕方であなたに働きかけるでしょう。それは各瞬間ごとに、ますますソレ自身を明らかにする でしょう。ソレは限りなくうっとりさせる別次元の美、別次元の愛、別次元の形をあなたに示すので、あなたは常にソレに引きつけられるでしょう。ソレはソレ に引きつけられるでしょう。たとえ肉体が無くなっても、あなたはソレを取り除くことはできません。これが究極、「究極[の本]性」[であるセルフ]と言うことができます。

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 10


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

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D:パーパージー、無心と死んだ心と静寂な心、これらの違いは何ですか?

P:静かな心は、一時的に静けさを保つことを意味します。それは単に、心の内 の対象に対する抑圧です。それは何度も起き得ますが、長続きしないでしょう。静止した心もまた一時的です。瞑想や集中は、静止した心の内で起き得ます。そ れは、ろうそくの炎のようなものです。風が無い時、炎は静止しているでしょう。風が吹く時、ろうそくの炎はゆらめき消えるでしょう。静止した心は、新しい 考えの風に出くわすやいなや、吹き消されるでしょう。無心に関しては、私は初めてこの質問を聞きます。インドや西洋のだれも、かつてこの事について、私に たずねたことはありませんでした。初めてこの質問について論じるのは、私にとって非常に幸福です。私達が無心について話す前に、心とは何かを調べるべきで す。意識から始めましょう。自分がどのように見えるかを見るために、あなたは時々鏡を覗きたいと思います。同様に、意識はソレは何であるかを見るために、 時々ソレ自身を見たいと思います。[すると]波が意識の中で起きるでしょ う。ソレはソレ自身に「私は誰か?」とたずねるでしょう。意識の中で起きるこの波は、自分自身、海から分離していると想像します。この波は個我(エゴ)で ある「私」になります。いったんそれが分離してしまうと、この「私」はさらに堕落し、創作し始めます。最初に空間、無限の空間の広大な無境界の虚空がある でしょう。そして空間に加えて時間が創造されるでしょう、なぜなら空間がある所にはどこでも時間があるはずです。この時間は過去・現在・未来になります、 そしてこれらの三つから執着が生じます。すべての創造は過去・現在・未来の中で生じます。これはサンサーラ saMsAra(輪廻生死)と呼ばれます。サンサーラは時間を意味します。サンサーラは終わりのない過去・現在・未来です。時間の中で生じ、時間の中に留 まるどんなものも、時間の中で終わるでしょう。そしてすべてこれは心です。「私」が生じ、そして空間、それから時間、それからサンサーラを創造しました。 この「私」(宇宙我)は今、心になりました、そしてこの心は「私」(個我)です。

 それからある時点で、自由への強烈な願望が起きるでしょう。この願望は、意識ソレ自身から起きます。最初は意識から[「私」へそして]「私」から空間へ[そして]時間へ[そして]サンサーラ(輪廻生死)へ[という]下 降がありました。次に上昇があるでしょう。あなたが上昇するにつれて肉体次元対象への執着が、それから生気次元の、それから精神次元の、それから理性次元 の執着が去るでしょう。最後にあなたは「私」のみに戻るでしょう。この「私」は静止した心です。この「ワタシ」がすべてを排斥してしまいました。ソレは無 執着でのみ存在します。ソレは執着の世界、輪廻へもどることはできません。ソレは自由への願望を持ちます;ソレはその発生場所(セルフ)へ 戻ることを望みます。意識(純粋識 cit)から発生したこの「ワタシ」は、今意識へ戻るところです。ソレは決心します、「今、無心になれ」、そしてその決心で「ワタシ」は消え去り、心は無 くなります。心である「ワタシ」は排斥されてしまいました、しかし「ワタシ aham」と意識 cit の間に、まだ何かがそこにあります。この中間のものは、無心 a-citta と呼ばれます。この中間の存在は意識に溶け込むでしょう、そしてそれからそれは意識ソレ自身になるでしょう。このコップを見なさい[テーブルの上の大コップを指さす]。 コップの内側と外側の両方に空間、虚空があります。内側の空間を私達は「内部空間」と呼び、外側の空間は「外部空間」と呼びます。なぜでしょう?なぜな ら、コップの名前と形 nAma-rUpa が、外側と内側を分けているからです。名前と形が取り除かれる時、内側の空間とマハト mahat、[すなわち]より大きい空間は一つになります。実際、それらはいつも一つでした。空間それ自身の観点からは、内側とか外側というのは決してありません。名前と形[という観念]が、内側と外側があるように見せているだけで、空間はこれらの人為的仕切りによって決して影響されませんでした。同様に自由は常にそこ[=ここ]にあり、名前と形に決して影響されません。名前と形は「私」[から出て来る観念]です。「私」が去る時、意識を分けるように見えている壁は取り除かれます。これ(私)はコレ(意識)になります。あなたが心から意識へ戻る時、無心の段階を通り抜けます。その状態では、「今私は無心である」という感じか、心の沈潜があるでしょう。徐々にゆっくりと、この無心は超越(意識=セルフ)へと溶け込んでいくでしょう。しかしそれがどう起きるのか、私はわかりません。

D:無心は再び心になることができますか?それは出て来れますか?それは顕現できますか?

P:[下降・上昇の]過程が起き[る説明が成され]ました。今意識ソレ自身があります。[それなのに]な ぜ、心と無心について話さなければいけないのですか?古代において王が跡取りを残さずに死んだ時、国王の象が新しい王を選ぶために送り出されました。象が 拾い上げて背中に乗せた者は誰でも、新しい王になるという伝統がありました。ある時この事が起き、象は乞食を拾い上げました。それで、この乞食は王になり ました。誰もが幸福でした。大臣達が彼に挨拶し、黄金飾りの礼服を与え、王位につかせました。以前は乞食であったこの男は、もう何も行なうべきことはあり ませんでした。すべてが、彼のために行なわれました。すべてが、彼の求めること無しにやってきました。宮廷に仕える者達や大臣達は皆、彼を世話する方法を 知っていました。彼はもう物乞いをする必要はありませんでした。一日のうちのふさわしい時間に食物が持ってこられ、夜の間はすべての女王達が彼の世話をし ました。一度乞食が王であることを経験してしまったなら、村へもどり、再び乞食であることを望むでしょうか?これがあなたが意識であると気づく時、起きる 事です。その人はまだそこにいて、体もまだそこにあります。しかし「私はあれやこれやをしなければいけない」と考える個人は、もういません。その代わり に、意識がすべての面倒を見るという認識があります。あなたが意識[すなわち]王であるなら、五感はあなたに仕える大臣達になります。感覚の働きは自動的に進み、あなたはそれらについて考える必要はないでしょう。王がパンを食べる時間であるなら[笑い]、パンが[運ばれて]来るでしょう。コーヒーを飲む時間であるなら、コーヒーが[運ばれて]来るでしょう。あなたが意識である時、脳は総理大臣になり、諸感覚器官は大臣達になるでしょう、そしてそれら全てはあなたに仕えるでしょう。あなたは全く考える必要はないでしょう。あなたはこのように機能することを望むなら、本当の王の権威と力を持たなければいけません。あなたが権威を持つこと無しに王のようにふるまっても、誰もあなたに従わないでしょう。権威がそこにないといけませんが、この権威は意識ソノモノであることによってのみ生じ得ます。

 あなたに、別の王についてのよい物語をしましょう。この王は、緊急に総理大 臣に会いたいと思いました。その時総理大臣は王宮にいなかったので、王は彼の家に会いに行きました。王は到着すると、「彼はプージャー pUjA の部屋にいます。」と総理大臣の妻に告げられました。「それなら彼を呼びなさい。」と、王は言いました。「呼ぶことはできません。」と、妻は答えました。 「彼がプージャーの部屋にいる間、私は彼を妨げることを許されておりません。」けれども、総理大臣は王の到着を聞いていました。彼はプージャーの服を着て プージャーの部屋から出て来ました。そこで王は「お前は何をしているのだ」と、彼にたずねました。総理大臣は何も返事をしませんでした。このことは、不服 従という粗暴な行為であると王はみたので、彼を非常に怒らせました。王は彼の警備隊の将校の一人を呼び、そして総理大臣を逮捕するように命じました。警備 隊の将校は前へ進み出ましたが、逮捕される前に総理大臣は言いました:「待て、待て。」王は警備官に中止するよう合図をしました、それから総理大臣が弁明 をするのを待ちました。ところが、すべての人が驚いたことに、総理大臣は王を指さし、彼を逮捕するように警備官に命令しました。もちろん、警備官は動きま せんでした。なぜなら王を逮捕する権威を持っていなかったからです。それから総理大臣は、王に自分の行為について説明しました。「あなたが“彼を逮捕し ろ”と言った時、あなたはそのような命令を与える権威を持っているので、警備官はあなたの命令を実行しました。しかし私が“彼を逮捕しろ”と言った時、私 はあなた以上の権威を持っていないので、警備官は応じませんでした。命令はそれぞれの場合に同じでしたが、権威が違っていました。あなたは権威を持ってい ました。私は持っていませんでした。私はガーヤトリー・マントラ gAyatrI-mantra を行なっていたので、あなたが入ってきた時、私は答えませんでした。あなたはそれについて秘伝を受けていなかったので、私はこのマントラについてあなたに 話すことができませんでした。私自身、このマントラについてあなたに話すための権威を持っていません、それで私は黙っていました。」そこで、あなたが王の 権威を持ちたいなら、あなたは意識そのものであるべきです。そうすれば、諸感覚はあなたに従うでしょう。全ての命令は意識から来るでしょうから、全てはす ばらしいものになるでしょう。王達は誤りをすることもありますが、意識は常に適切な時に正しい決定をします。あなたが無心である時、あなたは意図的にどん な働きをもすることはできません。あなたは全く恩寵を与えられています。そしてあなたは服従しています。あなた自身は行為者意識を消失してしまったので、 何もしていません。心はもう存在しません。心のあらゆる種類の働きはもはや存在しません。あなたはすでに決定されてしまった規定の期間、肉体をもって留ま るでしょう、そしてその期間、あなたは意識の道具であるでしょう。
 ある人々は 21 日以上、解脱のショックを、[肉体的に]持 ちこたえる事ができません。それは諸本の中で述べられています。宝くじで不意に 10 億ドルを得る人を想像しなさい。そのような突然得る多額の富のショックは、彼を殺してしまうかもしれません。彼は心臓発作を起こして、死ぬかもしれませ ん。それは往々にして悟りでも同じです。突然、不意にやって来るあまりの幸福は、体を奪い去ることがあります。しかし、悟りは影響を及ぼされないでしょ う。ある人々は悟りの後、他者の利益のためにのみ生き続けます。この恩恵はある“個人”からやって来るのではなく、意識から直接やって来ます。意識である グルは、活動しているのは“私(エゴ)”ではないことを知っています。彼の態度はこうです:「私は話をするよう選び出された、しかし話しているのは“私” ではない。」“彼(自分)”が話しているとグルが思うなら、それは全くの慢心にすぎません。彼の言葉は有効に作用しないでしょう。あなたがアノ直接体験を 持つ時、あなたが話すことに問題はありません。誰かが[あなたの言葉せいで]利益を得たり得なかったり、あるいは人々が[あなたのところに]来たり来なかったりということは、あなたの問題ではありません。それはあなたにとって全く同じ事なのです。

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 11


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

11

D:それで、[究極]意識はあなたに教えることを命令しました。それがあなたが話していることですか?

P:意識が…?

D:あなたに教えることを命令しました。それがあなたが話しておられることですか?あなたは命令を実行しているだけだ[、と]

P:[長い中断]意識と私は全く一つになりました。“ソレ”が“私”に命令することができるかどうかを言うことはできません。

D:しかし、ある力がサト・サンガ sat-saGga を行なうようあなたを駆り立てています、ね?

P:ええ、“ある力”はこのようです:[自分の前方に手を伸ばす]私 が水を飲みたいと思う時、「プーンジャジー、グラスを手に取りなさい」と、私は言いますか?私が水を口に入れる前に、「水を口に入れなさい」と、私は手に 言いますか?そして飲む前に、「飲みなさい」と、私は命令しますか?[パーパージーは笑いながらグラスを取り上げて飲む] 今、私は手に命令しませんでした。それは全く私なのです、わかりますね。恩恵を受けるのは他者ではありません。手は私自身であり、胃は私自身であり、水へ の欲求は私自身です。誰が他者なのですか?誰が私以外の者ですか?まず第一に、誰が無知なのですか?人々がそのように言うなら、私は彼らを信じません。[誰でも本来自由であるのに]誰 が自由になりたいのですか?誰かがこの事を私に言うなら、私はその人を信じません。誰がまだ自由でないのですか?そこで、人々が私のところへ来て「私は苦 しんでいます、私は束縛されています」と言う時、彼らは冗談を言っていると思い、そこで私は「あなたは束縛されていません、あなたは自由です」と冗談を言 い返します。「[解脱するために]長い時間を必要としますか?」と、彼ら はたずねます。「いいえ」と私は言います。「あなたはまさに今、それを得ることができます。」全くこれは冗談です、そこで私はそれを冗談として受け取りま す。「私は束縛されています。」という言い草は、冗談ではないですか?このように話す人々は、私に鎖も足かせも刑務所も示しません。これはどんな種類の監 獄ですか?それで、それは私にとって全く冗談ですし、そして私はその冗談を楽しんでいます。

D:それでパーパージー、あなたがサト・サンガ sat-saGga で人々を見る時、[本来]悟っているのに悟っていないと[自分に]思わせている人々をあなたは見ているのですか?

P:[長い中断]ああ、それは難しい質問ですが、私はすべての質問に答えるの で、その質問に答えるべきでしょう。まず第一に、私は彼ら皆を吸収して、私のハートの内で座を与えます。恋人が彼のハートの内において、愛する人に座を与 えるように、あなたはいつも私のハートの内に坐しています。そこで、私はここ(ハート)を開いて言います:「あなたと私は一緒に話しましょう。ええ。あな たは私と別ではありません、あなたはハートの内にいます。あなたは私のハートの内にいます。お話ししましょう。」

D:パーパージー、恩寵はサト・サンガ sat-saGga で働いています。それはあなたを通じてあなたから来るのですか、それともそれはただそこにあるものなのですか?

P:恩寵からのみ来ます。恩寵は恩寵のみから来るはずではありませんか?波は海から来るはずです。恩寵は恩寵から、恩寵の海から来るはずです。

D:でも、それはあなたの近くで非常に強く流れるように思われます。

P:私はわかりません。

D:パーパージー、私はあなたが「私は人々を目覚めさせるための多くの秘訣を知っている。一つの秘訣が働かないなら、私は別の[秘訣]を使う。」と言うのを何回も聞きました。これらの秘訣は何ですか、そしてそれらをあなたはどのように使うのですか?

P:一番めの秘結は「静かに在りなさい!」です。2番めの秘訣は「全く考える な。」です。3番めの秘訣は「あなたの心を活動的にするな。」です。これらが有効に作用しないなら、四番めの秘訣があります。私は言います:「私のところ へ来なさい、そうしたらあなたにヨーガを教えましょう。あなたにしールシャーサナ zIrSa-Asana[床の上に頭をつけ、空中に両足を伸ばすヨーガのポーズ] の行ない方を教えましょう。私は彼らを私の前に立たせ、それから言います:「さあ、頭を下にし、両足を空中に上げなさい、これがしールシャーサナです。」 私自身、そのやり方を知っているので,彼らに簡単に示すことができます。彼らが頭で立っている間、「でも、私は自由になりたいのです。」と、言うでしょ う。彼らがその姿勢でまだ静止している間、私は彼らに自由になる方法を言います。「静かに在りなさい、静かに在りなさい」と私は言います。その時、彼らは それまでに少しは苦しんでいるはずなので、[私の言うことを]聴くでしょう。人々が感覚的な快楽に耽(ふけ)りすぎ、苦しみを感じ始める時、私のところへ来て、[私の言うことを] 聴きます。誰かが長い間十分に逆さまでいて苦しみ始め、そしてそれに気づいてきた時、その人達は私の所へ来ます。そこで,私は多くの秘訣を知っているので,西洋ではしばしばそれらを使いました。たいてい善良な人々が、らックナウで私に会うためにやって来ます。私は彼らと[の触れ合いで何の] 問題を持ちません。人々は世界中からインドへそして初めてらックナウへやって来ます、そして私は彼らと共にいて非常に幸せです。私が彼らに話す時、彼らは私の言うことを聴きます。彼らは父や良い忠告を与えてくれる尊敬する人に対してと同じように、[私の言うことを]聴 きます。彼らは自分の精神的苦悩が終わることを望んでいます。そこで,私は彼らにこの秘訣を与えます:静かに在ることを、私は彼らに語ります。私が彼らに 何もすることを求めないので,たいていの人々はこの忠告を好みます。彼らは何もせず、単に静かに在ることによって、幸福と平和を得ます。

 誰が幸福を望まないですか?誰が平和を望まないですか?誰が美を望まないで すか?誰もが関心があります。そこで彼らは私の言うことに耳を傾け私は幸福なのです。誰もが恩恵を得ます。彼らは皆このらックナウ市から、特使としてそれ ぞれの国へもどります。それから彼らは他の友達を[ここへ]送ります。彼 らから良い報告を聞いたというだけで、数千の人々がここへ来ました。ここで起きていることについて、誰も不平を言いません。課金もアーシラマ Azrama もありませんし、また多額の資金要請もありません。私は自分の家に住んでいて 、この都市の住人です。私は 50 年来、ここで生活しています。私はまた数年間、外国生活をしました。私は旅行が好きですが、今では高齢のため、ここに留まっています。それであなた達がこ こにいる訳です。最近まで、私は人々の家を訪ねるのが常でした。私は誰にも迷惑をかけたくなかったのです。そこで、今多くの人々がここにいます、そして何 がしかの平和のメッセージが広がっていくので、大変幸福です。私達には、それが大いに必要なのです。2600 年前、マへーンドラ神とミトラ神の姿で、世界中へ平和の使者を送ったのはインドでした。アしょーカ azoka 王自身の息子と娘が、使者として送り出されました。他の人々は同じ任務で中国、日本、韓国へ行きました。その時期、世界にはすばらしい平和がありました。 そこでこの同じ場所から、平和のメッセージを再び送り出すことを決意しましょう。ブッだ buddha は、この州の出身です。ブッだが生きていたその場所から、もう一度平和のメッセージが送り出されることで、私はとても幸福です。多くの旅行者たちが、ブッ だの生涯と関係のある聖なる場所を訪れるため、この州へ来ます。彼らは、クシーナーガラやスィッだールたナーガラやるンビニーのような場所を訪ねます。す べてそれらの場所は、ここから平和のメッセージを広めた一人の人間のおかげで神聖になりました。あなたは自分自身が解脱することによって、世界に平和を示 すことができます。この解脱ソノモノがメッセージなのです。あなたは国へもどって、お話しをするかもしれないし、沈黙を保つかもしれません。それは[ある]作用[を]し、あなたにはわかるでしょう。友達が「何が起きたんだ?」とあなたにたずねる時、あなたは沈黙を保つことができます。再び彼らはあなたにたずねるでしょう。ただ静寂を保ちなさい、それがあなたが行なうべきすべてです。

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 12

PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

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D:パーパージー、多くの人達はあなたが「私は究極の教えを誰にも与えなかった」と言うのを聞いてきています。これらの究極の教えは何ですか、そしてなぜ、あなたはそれを与えないのですか?

P:彼らはそれを受けるのにふさわしくありません。誰もそれを受けるのに値しません。なぜなら、誰もが傲慢(ごうまん)で 利己的だったことを、私は経験したからです。これは苦悩に終わりました。多くの人々は、苦しんでいます。今日では、私は他の試みをしています。私は何が起 きるかを見てみましょう。私は、誰もそれを受け取るにふさわしいとは思いません。それに値しようと思うなら、あなた達は神聖である事を証明しなければいけ ません。なぜ、あなた達は人々を助けないで苦しめるのでしょう?これは傲慢です、ね。王が使者を他の国へ送る場合、使者の唯一の仕事はメッセージを届ける 事です。私は西洋へ使者を送りました、しかし彼は王になろうとしました。多くの人々がこの事で苦しみました。私は多くの事例で、そのような事を見てきまし た。どうすればよいでしょう?この種の行ないは、無価値であることを証明しています。私はたぶん寛大すぎて、人々を正しく見抜けません。私は誰もが善良で あると考えるので、たぶんそれは私の間違いです。私はすべての人々に真実を話しますが、真実はソレを受けるにふさわしくない人を拒絶するでしょう。聖なる 人だけが、この教えを受け取ることができます。そのような人は、ソレにふさわしいでしょう。その人がふさわしくないなら、真実はその人の頭に入り、そして 単なる知識となるだけでしょう。西洋人たちは、知的な理解を望みます。彼らは理解できる時は非常に幸福です。知性を通じての知識、それが西洋の望むすべて です。すべての人は[知性を]「超越」した何かがあることを知っています。しかし、私がそれについて話す時、西洋人達は「私は理解できません。私は理解できません」と言います。そこで、私は彼らに「理解する必要はまったくありません」と言います。

 私には、パリに住んでいた友人がいました。彼は 35 年間、J. クリシナムールティ kRSNamUrti の信奉者でした。彼はオーストラリア、ニュージーランド、スイス、イギリスなど、クリシナムールティが行く所に従って、世界中を旅行したものでした。彼は あらゆる本を読み、学びました。彼はザーネン(スイス)で私に会いに来て、しばらくの間、私は彼に話しました。彼は私の話を聴いた後で、「私は理解できま せん。私は理解できません。」と言いました。私は言いました、「あなたはこれを理解すべきではありません。これは理解されるべきことではありません。あな たはソレであるべきです。」彼は同意しませんでした。「いいえ。いいえ。私は理解すべきです。私はあなたもクリシナムールティも理解しません。」私は彼に 言いました、「あなたはクリシナムールティをも私をも、理解する必要はありません。」それから彼は、クリシナムールティとのことで、大変苦しんでいたこと を説明しました。「私がA点にいると、クリシナムールティはB点にいます。しかし、私の見方をAからBへ移すと、彼はC点に移動します。それで、私はクリ シナジーをとても理解できません。」. クリシナムールティも、その時ザーネンにいました、それで多くの彼の信奉者達が私に会いに来たものでした。ある日、一人の人がやって来て話し始めました: 「プーンジャジーとクリシナジーは、同じ事を言っています。クリシナジーは“心からすべての概念を取り除きなさい”と言います、そしてプーンジャジーも同 じ事を言っています。二人とも“心というポットを空にしない限り、あなたは解脱できません”と言っています」。これを聴いていた、 クリシナムールティの弟子であった一人の男が、反論しました。彼は言いました、「いいえ、いいえ、プーンジャジーと クリシナジーの教えには、大きな違いがあります。クリシナジーはポットを空にすることを教え、プーンジャジーはポットをこわすことを教えます」。それが違 いです、そしてこれは心で理解できないあるものです。カップがいっぱいあるいは空である時、あなたは理解できます。しかし、カップが存在しない時、あなた は誰なのですか?そしてあなたは何を理解しようとしているのですか?そこで、私は言います、「心自体は存在しません、それで理解する必要はありません。」 あなたは私が話す時、ソレを実感しなければいけません。考えることは、あなたを助けてくれないでしょう。心自身は観念にすぎません。この観念を取り除きな さい。そして心 (mind = notion = thought = past) は過ぎ去ったのです、そこでその過去も取り除きなさい。「今(現在)」になりなさい、そうしたら、私はあなたが次にしなければいけない事を話しましょう。 ともかく「今(現在)」になりなさい、そうすれば、あなたはわかるでしょう。

D:パーパージー、多くの人々がサト・サンガ sat-saGga に来ます、そして覚醒体験を得ます。ある人達は、数週間や数ヶ月後にもどって来て言います、「私はそれを失いました。」何が起きたのでしょうか?

P:これもまた価値のないことです。

D:ほとんどの場合、あなたはその人達がそれを失うことを非難します。あなたは彼らに言います、「それはあなたの過失です。」

P:ええ、そうです。彼らはそれ(覚醒体験)の 世話をよくしなかったので、失ってしまったのです。私はこれらの人々に言います、「私があなたに大きなダイヤモンドをあげるなら、あなたは残りの人生をそ れに頼って暮らすことができます。あなたはそれを売って、数百万ドルを得ることができます。そのかわりに、あなたがその価値をわからず、それを人にあげて しまうなら、それは誰の過失なのですか?その(ダイヤモンドの)価値を知らず、秤(はかり)の おもりとしてそれを使う漁婦に、あなたがそれをあげるなら、それは誰の過失なのですか?この悟りはダイヤモンドです。それを誤用するような、ふさわしくな い人々に与えられるべきではありません。彼らはそれを実際に誤用します。私は、私のところへ来るすべての人々を差別しません。私はすべての人々に(まったく)同 じ真実を告げます。ある人々はそれを得ます、それからそれを誤用することによってむだにします。彼らはもどって来て言います:「ガールフレンドが私から 去っていきました。私が彼女に電話をしたら、彼女はもどって来ました。今、私はまた幸福です。」これが自由ですか?次回に、彼らは私に言うでしょう:「私 はもどりました、でも彼女は再び私から去って行きました。今、私はまた苦しんでいます。」私は毎日このような話を聞いています。

D:パーパージー、人々があなたから去って行く時、あなたは彼らに決して言いません:「私が与えたこのダイヤモンドを大事にしなさい。それを世話しなさい。」彼らがもどって来た時、それを失ってしまっているので、あなたは彼らを非難するだけです。

P:彼らみんなが、それを失うわけではありません。彼らのうちの何人かは、と てもすばらしい人たちです。彼らは手紙で次のように伝えてきます:「私はそれを保ち続けています。私はこの貴重な贈り物を保ち続けています。私はそれを保 ち続けているだけでなく、他の人たちにも分け与えています。それを分け与えた後にも、まだ同じ量が私と共にあるのがわかります。それは減りません。あなた は私に、なんてすばらしい贈り物を与えてくれたのでしょう!」彼らみんなが、それを失うわけではありません。みんながこれによって恩恵を得られることを望 みますが、誰でもがそれを得ることができるわけではないことも知っています。それにしても、ここでの成果はすばらしいものです。私は他のアーしラム Azrama に目をやり、そこで何が行なわれているのかを見ています。それらと比べれば、ここで得ている結果は、まったく満足できるものです。私はとても満足していま す。

D:パーパージー、最後の質問です。あなたはあなたの全人生において、あなた自身の内的体験を述べようとしてきました。さらにもう一つ、私達に述べてみてもらえすか?あなたは誰ですか?あなたは何ですか?あなたのセルフについてのあなた自身の体験は何ですか?

P:非常に簡単な答えは:「私はあなた自身のセルフです。」私はあなた自身のセルフです、これは真実です。私が私自身のみである事が、どのようにしてあり得るでしょうか?私はあなた自身のセルフであり、そして存在し、存在するはずの全てのもののセルフです。


覚え書き

このインタービューとラーマクロウエるによるインタービュー(教え無し、グル無し、弟子無し No Teaching, No Teacher, No Student)は、らックナウで撮影されました。両方のインタービューからの抜粋は、『求めるのをやめよ Call Off the Search』と題された、パーパージーに関する記録映画に収められています。ここに収録されたインタービュー記事は、元の会話の編集版です。両方のインタービューのビデオテープは、らックナウのサト・サンガ・ばヴァンや他の販売業者から入手できます。詳細については[原本の]305 ページを参照して下さい。

Hare Lakshmana

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Lakshmana Swami の教え 1






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Lakshmana Swami の教え 6












Lakshmana Swami の教え 7