2011年8月27日土曜日

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 03


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

3

D:パーパージー、私たちは多分あなたの事や、あなたの教えについて、あまり知らない外国のテレビの視聴者のために、この映画を制作しています。彼らが理解できる言葉で、光明(悟り)とは何かを、正確に話してもらえますか?

P:光明(悟り)とは、感覚的な楽しみに、どんな満足も見い出せないでいる人たちのためのものです。それは物や対象にうんざりし、それらに楽しみを見い出せない人たちのためのものです。自由・光明(悟り)への願望は、永遠の幸福が、感覚的な快楽の中には見い出すことができないということを、人が理解し始めたとき起きます。五感が[受け取り]記録する対象は、あなたに永遠の幸福を与えることはできません。五感が受け取り記録しているなにかの対象に欲望を持つなら、その欲望が達成されたそのとき、すぐに幸福になれるでしょう。しかし、あなたに幸福を与えるのは、対象そのものではなく、対象への欲望の達成[という自分の心の内部問題]な のです。欲望がある時、まだ何かを達成したいとか得たいという望みがある間は、幸福はありません。欲望は、達成されたその時だけ無くなります。その時は、 思いも無く欲望も有りません。あなたが注意深く自分自身の体験を見つめるなら、幸福は思いや欲望が無いときだけ自然におき、思いや欲望がよみがえるとき幸 福は消える、ということを見い出すでしょう。このことから、どういうことが推定できますか?簡単に結論すると、思いや欲望が無いとき幸福はおき、[反対に]思 いや欲望が有るとき、幸福はもう感じることはできない、ということです。ですから、幸福はさらに多くのものを求める事には無く、思いの無い空 [= thinking-less I AM] の中に在るのです。色々な対象やそれらに対する欲望は一時的で、それらは現われ来たり消え去ります。現われたり消えたりするものは、永遠ではありません。 あなたが永遠の幸福を望むなら、去来するものを追いかけても決して得られない、ということを理解すべきです。

 無思考・無欲という空(くう)は、 永遠です。それは、真実の永遠の幸福の根源です。事実、それは幸福そのものなのです。あなたがこのことを理解して、完全に受け容れたなら、心はもはや外的 な満足に手を伸ばしません。なぜなら、手を伸ばす行為そのものが、欲望と苦悩を引きおこす原因となることが、わかるからです。あなたがどこか他に幸福を探 す必要性を感じず、空(くう)す なわち永遠の幸福にとどまることができる時、あなたは欲望と苦悩から自由になります。その自由(悟り)が光明です。いったんあなたが、その状態に自分自身 を確立したなら、もはやこの世の中で心配したり、何かを追いかけたりする必要はありません。この世界の人々や物事はまだそこにあります。しかしそれらは、 どんな困難や苦悩の原因にもならないでしょう。なぜなら、それらを通じて喜びと幸福を得ようとする欲望は、決しておこらないからです。空・幸福は、活動的な世俗生活を送っても、決して減少しないでしょう。なぜなら、前には悲惨や苦悩や失望に終わった思いや欲望は、絶対に起きないだろうからです。

あなたが自由を得たいという願望を持ち、永遠の幸福は世間的な快楽を追い求めても得られない、ということを理解し始めたなら、完全な存在
(セルフ)を 探求すべきです。真実と永遠の幸福の状態に、自分自身を完全に確立した人。ハ-トが完全そのものであるそのような存在は、あなたの内にある幸福と空をあな たに気づかせることができます。彼はその思いの力、あなたを見つめること、あなたに触れること、あるいはただ静かにしていることによって、それをするかも しれません。そのような存在者との触れあいにやってくる人はだれでも、彼の臨在によって利益を受けるでしょう。そのような完全な存在者は、自我の感覚、つ まり個人的な感覚を持っていません。彼のところへやってくるだれもが、彼の面前に存在することによって利益を受けますが、完全な存在者はだれかを助けてい るとは決して思っていません。なぜなら、彼と別個に独立して存在している者はだれもいない、ということを知っているからです。あなた方みんなは、それぞれ に独立した心と体を持つ人間である、と信じている誤りを犯しています。この概念(とらえ方)は、まさに思いにすぎません。

 完全な光明(悟り)を得た存在者に直面して、あなたが本当は真実在 sat であることに気づくとき、この個我の思いは消え去ります。無我としての空、光明(悟り)を得た存在者のもとであなたが体験する純粋な幸福としての空は、真実在ソノモノの直観智です。私は決してだれにも、世を捨てることを忠告しません。これ(世捨て)は、光明(悟り)を得るための道ではありません。それ(世捨て)は、何千年間も西洋と東洋で試みられてきましたが、なにも良い結果をもたらしませんでした。私の忠告は違います。私はただこう言うのです:「静けさを保ちなさい。あなたがどこにいて[どんな状況にあって]も、そこに留まり[知足し]なさい。世間的な行為・活動を排斥して[全てはセルフ=全体宇宙生命であることを忘れて]はいけません。一瞬間[でいいから]ただ心を静かにしなさい、そして[その静けさと共に]起こることを見なさい。」

 これは、とても新しい考え方です。だれかが前に、このことを表わしたことがあるとは、私は思いません。昔は、光明(悟り)を得るために、人々は何年もの間、人里離れた場所で苦行をしたものです。王たちでさえ、自分の王国を捨て、森へ行き、光明(悟り)を得るために、自分のすべてのエネルギ-を捧げたものでした。しかし、それはうまくいきませんでした。なぜでしょう?なぜなら、自由・光明(悟り)は、勝ち得たり[失ったり]で きるようなものではないからです。ソレはあなた自身のセルフとして、あなたの内に、今ここすでにあるのです。あなたはソレを探すために、どこか他へ出かけ るべきではありません。それは、あなたが自分自身について持っている誤った観念によって、おおい隠されているのです。あなたは、「これは私の体です。これ は私の心です。」と考えます。これらの観念は、あなた自身の[真実在としての]本性に気づくのを妨げるじゃまものです。あなたがそれらの観念を取り除くなら、あなたは自由です。あなたはこれらの観念を、[いつ]どこで[で]も取り除く事ができます。あなたは、それらの観念を捨てるために、[わざわざ]森へ行く必要はありません。