2011年8月27日土曜日

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 07


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

7

D:パーパージー、西洋の多くの人たちは色々な瞑想のテクニークを試してきました。ある人たちは、何年も非常に熱烈に瞑想をしました。このよう な瞑想は悟りをもたらさないだろうと、あなたが何度か言うのを私は聞きました。なぜ、あなたはそのように考えるのかを説明してくださいますか?

P:まず第一に、瞑想はあなたの体と心を疲れさせるだけです。それであなたは それにうんざりさせられるでしょう。その時、他の考えがあなたの心に浮かぶことがあります:「多分何か他の方法がある…」。この思いと共に、あなたは真実 のグルの探求を始めるかもしれません。あなたが真実のグルを見つけるなら、彼は瞑想するよう言わないでしょう。そしてまた[他の]何 らかの方法も与えないでしょう。彼はただ「静かに在りなさい」と言うでしょう。彼はあなたに何か行なうこととか、何かをやめるようにとは言わないでしょ う。あなたが行なうべきこと、あるいは行なうべきでないことの助言は、グルからでなく説教者から来ます。真正のグルは、教えや命令事項(ニヤマ)や禁止事 項(ヤマ)を持ちません。彼は単に、あなたに「静かに在りなさい」と言います。グルが言い得るのは、それ以外に何もありません。これは有効に作用するで しょう。これが、グルが教えることができる最上の教えです。私が以前にあなたに話していたように、彼が「静かに在りなさい」と言うなら、あなたは単に言葉 を聞くのでなく、あなたは実際に静寂になります。何が障害なのですか?なぜみんなはそれを、非常に難しいと思うのですか?

それはサト・サンガ sat-saGga でも同じです。私は人々に「探求しなさい、調査しなさい、"私は誰か"と自分自身に尋ねなさい」と言います。そうすると彼らは答えます、「私達はできませ ん。私達はできません。私達は試してきましたが、それは私達に困難です。私達がそれを行なう時、多大の緊張と頭痛を伴います。」あるまれな人だけがそれを 達成します。他の人々は、心が他のものに占められているので失敗します。なぜそ うなのか、私にはわかりません。なぜそれが突然ある人々には有効に作用し、他の人々には作用しないのかについて、私はあなたにどのような説明も与えること はできません。あなたが静かに在るなら、寂静と平和であるアレと愛に落ちるでしょう。人が何をしていようと、誰にとっても、幸福と平和が必要です。そし て、この寂静以外のどのようなものの中にも、幸福や平和や愛や美はあり得ません。それは今ここ常に、あなたの内に在ります。ですから、あなたはどのような 瞑想も必要でないと、私は常に言っています。あなたは瞑想するとき心が必要ですし、そしてあなたが心を使うときはいつでも、結果は観念的になるに違いあり ません。あなたはまた、あなたの体を必要とします。あなたは、特別な仕方で両手と両足の位置を定めて、特別な姿勢で坐るよう指示されます。肉体の行為はあ なたに肉体的な結果を与え、精神的な行為は精神的な結果を与えます。しかし、私が話していることは、体や心を超えています。それは、精神や肉体の媒介を通 じて近づく事はできません。ある霊的な考えがあなたに良い印象を与え、それに従うなら、結果は知的
[というだけ]で あるに違いありません。そこで、すべての考えを放棄しなさい。肉体的、精神的ないし知的手段を通じて、この寂静に近づこうとしてはいけません。すべての概 念やすべての考え、あなたが聞いたり読んだりしたすべてのものをただ捨てなさい。そうすればあなたは、あなたが空ソレそのものであることを見い出すでしょ う。

D:多くの人々は平静・静寂であることを試みてきました。しかし彼らは成功しませんでした。彼らは何を間違っているのでしょう?

P:彼らは、静かに在るための計らいを捨てるべきです。彼らが静かに在ることができないなら、私は彼らに「静かに在るための計らいを捨てなさい」と言うでしょう。彼らがそれを行なうなら、何が起こるでしょうか?

D:パ-パ-ジ-、あなたはしばしば人々に「私は誰か」と自分自身に尋ねるように言います。他の方法のすべてが失敗する時、なぜこれが有効に作用するのですか?

P:なぜなら、これは方法ではないからです。他の方法は枝を切るだけです。しかし探求は心の根[であるエゴ]を 直撃します。あなたが枝を切っても、しばらくするとそれはまた生長してくるでしょう。しかし、あなたが心の根に向かいそして根を引き抜くなら、それは決し て復活することはできません。探求は、心を根こそぎにします。あなたが「私は誰か?」を探求するとき、心の根を直撃してそれを永久に破壊します。実際にお いて、より正確に言うなら、探求を通じて心はまったく無いことをあなたは見い出すだろう、ということです。「私」は心です。あなたが「私は誰か?」と自分 自身を探求する時、「私」は心の本性を見い出すために、自分自身を尋問しています。これまで誰も「私は誰か?」と尋ねませんでした。誰も。人々はいつも 「あなたは誰ですか?、彼は誰ですか?、彼女は誰ですか?」と尋ねています。しかし、誰も決して「私は誰か?」と尋ねません。あなたが初めてこのように尋 ねるなら、単に心の根を直撃しているばかりでなく、「私」[すなわち]心はすべての創造の源であるので、すべての創造の根を直撃しているのです。あなたが探求をする時、消え去るのは単に「私」だけではなく、創造(世界)もまた消えます。あなたは、創造者も創造も創造されたものも無いことを見い出します。この「私は誰か?」[という探求]は、そのように強力な手法なのです。それはセルフの深みへあなたを連れて行き、その場で、あなたも創造も決して存在しなかったということを見い出します。

D:多くの人々は「私は誰か?」と探求してきましたが、正しい答を得られませんでした。心はなお残りました。彼らは正しい答を得るまで、探求を続けるべきですか?

P:いいえただ一度だけです。あなたがそれを正しく行なうなら、ただ一度の探求が必要なだけです。あなたがそれを正しく行なうなら、[探求はエゴという]正 しい場へ行き当たるでしょう。あなたが「私は誰か?」と探求する時、どのような答も期待してはいけません。あなたは、答を得るだろうという期待を、排除す べきです。あなたは、成功するとか、答を得るとかの計らいを持って、探求をすべきではありません。この探求の目的は、答を得ることではありません。むし ろ、川が海へ合流するのと同じように、それは合流することです。それは川のまま残るために海へ行くのではなく、海で川自身を失うのです。「私は誰か?」の 探求において、神・セルフ・空そのものへの融和合一があります。ただ静寂を保ち、そして何が起きるかを確かめなさい。この探求の間、答を期待すべきではあ りません。探求が終わった時、「私」もまた終わります。「私は誰か?」この「私」の後に何が来ることができますか?あなたは「私」が解放された「アレ」に なります。その場は空[=無我]に違いありません。