2011年8月27日土曜日

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 10


PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

10

D:パーパージー、無心と死んだ心と静寂な心、これらの違いは何ですか?

P:静かな心は、一時的に静けさを保つことを意味します。それは単に、心の内 の対象に対する抑圧です。それは何度も起き得ますが、長続きしないでしょう。静止した心もまた一時的です。瞑想や集中は、静止した心の内で起き得ます。そ れは、ろうそくの炎のようなものです。風が無い時、炎は静止しているでしょう。風が吹く時、ろうそくの炎はゆらめき消えるでしょう。静止した心は、新しい 考えの風に出くわすやいなや、吹き消されるでしょう。無心に関しては、私は初めてこの質問を聞きます。インドや西洋のだれも、かつてこの事について、私に たずねたことはありませんでした。初めてこの質問について論じるのは、私にとって非常に幸福です。私達が無心について話す前に、心とは何かを調べるべきで す。意識から始めましょう。自分がどのように見えるかを見るために、あなたは時々鏡を覗きたいと思います。同様に、意識はソレは何であるかを見るために、 時々ソレ自身を見たいと思います。[すると]波が意識の中で起きるでしょ う。ソレはソレ自身に「私は誰か?」とたずねるでしょう。意識の中で起きるこの波は、自分自身、海から分離していると想像します。この波は個我(エゴ)で ある「私」になります。いったんそれが分離してしまうと、この「私」はさらに堕落し、創作し始めます。最初に空間、無限の空間の広大な無境界の虚空がある でしょう。そして空間に加えて時間が創造されるでしょう、なぜなら空間がある所にはどこでも時間があるはずです。この時間は過去・現在・未来になります、 そしてこれらの三つから執着が生じます。すべての創造は過去・現在・未来の中で生じます。これはサンサーラ saMsAra(輪廻生死)と呼ばれます。サンサーラは時間を意味します。サンサーラは終わりのない過去・現在・未来です。時間の中で生じ、時間の中に留 まるどんなものも、時間の中で終わるでしょう。そしてすべてこれは心です。「私」が生じ、そして空間、それから時間、それからサンサーラを創造しました。 この「私」(宇宙我)は今、心になりました、そしてこの心は「私」(個我)です。

 それからある時点で、自由への強烈な願望が起きるでしょう。この願望は、意識ソレ自身から起きます。最初は意識から[「私」へそして]「私」から空間へ[そして]時間へ[そして]サンサーラ(輪廻生死)へ[という]下 降がありました。次に上昇があるでしょう。あなたが上昇するにつれて肉体次元対象への執着が、それから生気次元の、それから精神次元の、それから理性次元 の執着が去るでしょう。最後にあなたは「私」のみに戻るでしょう。この「私」は静止した心です。この「ワタシ」がすべてを排斥してしまいました。ソレは無 執着でのみ存在します。ソレは執着の世界、輪廻へもどることはできません。ソレは自由への願望を持ちます;ソレはその発生場所(セルフ)へ 戻ることを望みます。意識(純粋識 cit)から発生したこの「ワタシ」は、今意識へ戻るところです。ソレは決心します、「今、無心になれ」、そしてその決心で「ワタシ」は消え去り、心は無 くなります。心である「ワタシ」は排斥されてしまいました、しかし「ワタシ aham」と意識 cit の間に、まだ何かがそこにあります。この中間のものは、無心 a-citta と呼ばれます。この中間の存在は意識に溶け込むでしょう、そしてそれからそれは意識ソレ自身になるでしょう。このコップを見なさい[テーブルの上の大コップを指さす]。 コップの内側と外側の両方に空間、虚空があります。内側の空間を私達は「内部空間」と呼び、外側の空間は「外部空間」と呼びます。なぜでしょう?なぜな ら、コップの名前と形 nAma-rUpa が、外側と内側を分けているからです。名前と形が取り除かれる時、内側の空間とマハト mahat、[すなわち]より大きい空間は一つになります。実際、それらはいつも一つでした。空間それ自身の観点からは、内側とか外側というのは決してありません。名前と形[という観念]が、内側と外側があるように見せているだけで、空間はこれらの人為的仕切りによって決して影響されませんでした。同様に自由は常にそこ[=ここ]にあり、名前と形に決して影響されません。名前と形は「私」[から出て来る観念]です。「私」が去る時、意識を分けるように見えている壁は取り除かれます。これ(私)はコレ(意識)になります。あなたが心から意識へ戻る時、無心の段階を通り抜けます。その状態では、「今私は無心である」という感じか、心の沈潜があるでしょう。徐々にゆっくりと、この無心は超越(意識=セルフ)へと溶け込んでいくでしょう。しかしそれがどう起きるのか、私はわかりません。

D:無心は再び心になることができますか?それは出て来れますか?それは顕現できますか?

P:[下降・上昇の]過程が起き[る説明が成され]ました。今意識ソレ自身があります。[それなのに]な ぜ、心と無心について話さなければいけないのですか?古代において王が跡取りを残さずに死んだ時、国王の象が新しい王を選ぶために送り出されました。象が 拾い上げて背中に乗せた者は誰でも、新しい王になるという伝統がありました。ある時この事が起き、象は乞食を拾い上げました。それで、この乞食は王になり ました。誰もが幸福でした。大臣達が彼に挨拶し、黄金飾りの礼服を与え、王位につかせました。以前は乞食であったこの男は、もう何も行なうべきことはあり ませんでした。すべてが、彼のために行なわれました。すべてが、彼の求めること無しにやってきました。宮廷に仕える者達や大臣達は皆、彼を世話する方法を 知っていました。彼はもう物乞いをする必要はありませんでした。一日のうちのふさわしい時間に食物が持ってこられ、夜の間はすべての女王達が彼の世話をし ました。一度乞食が王であることを経験してしまったなら、村へもどり、再び乞食であることを望むでしょうか?これがあなたが意識であると気づく時、起きる 事です。その人はまだそこにいて、体もまだそこにあります。しかし「私はあれやこれやをしなければいけない」と考える個人は、もういません。その代わり に、意識がすべての面倒を見るという認識があります。あなたが意識[すなわち]王であるなら、五感はあなたに仕える大臣達になります。感覚の働きは自動的に進み、あなたはそれらについて考える必要はないでしょう。王がパンを食べる時間であるなら[笑い]、パンが[運ばれて]来るでしょう。コーヒーを飲む時間であるなら、コーヒーが[運ばれて]来るでしょう。あなたが意識である時、脳は総理大臣になり、諸感覚器官は大臣達になるでしょう、そしてそれら全てはあなたに仕えるでしょう。あなたは全く考える必要はないでしょう。あなたはこのように機能することを望むなら、本当の王の権威と力を持たなければいけません。あなたが権威を持つこと無しに王のようにふるまっても、誰もあなたに従わないでしょう。権威がそこにないといけませんが、この権威は意識ソノモノであることによってのみ生じ得ます。

 あなたに、別の王についてのよい物語をしましょう。この王は、緊急に総理大 臣に会いたいと思いました。その時総理大臣は王宮にいなかったので、王は彼の家に会いに行きました。王は到着すると、「彼はプージャー pUjA の部屋にいます。」と総理大臣の妻に告げられました。「それなら彼を呼びなさい。」と、王は言いました。「呼ぶことはできません。」と、妻は答えました。 「彼がプージャーの部屋にいる間、私は彼を妨げることを許されておりません。」けれども、総理大臣は王の到着を聞いていました。彼はプージャーの服を着て プージャーの部屋から出て来ました。そこで王は「お前は何をしているのだ」と、彼にたずねました。総理大臣は何も返事をしませんでした。このことは、不服 従という粗暴な行為であると王はみたので、彼を非常に怒らせました。王は彼の警備隊の将校の一人を呼び、そして総理大臣を逮捕するように命じました。警備 隊の将校は前へ進み出ましたが、逮捕される前に総理大臣は言いました:「待て、待て。」王は警備官に中止するよう合図をしました、それから総理大臣が弁明 をするのを待ちました。ところが、すべての人が驚いたことに、総理大臣は王を指さし、彼を逮捕するように警備官に命令しました。もちろん、警備官は動きま せんでした。なぜなら王を逮捕する権威を持っていなかったからです。それから総理大臣は、王に自分の行為について説明しました。「あなたが“彼を逮捕し ろ”と言った時、あなたはそのような命令を与える権威を持っているので、警備官はあなたの命令を実行しました。しかし私が“彼を逮捕しろ”と言った時、私 はあなた以上の権威を持っていないので、警備官は応じませんでした。命令はそれぞれの場合に同じでしたが、権威が違っていました。あなたは権威を持ってい ました。私は持っていませんでした。私はガーヤトリー・マントラ gAyatrI-mantra を行なっていたので、あなたが入ってきた時、私は答えませんでした。あなたはそれについて秘伝を受けていなかったので、私はこのマントラについてあなたに 話すことができませんでした。私自身、このマントラについてあなたに話すための権威を持っていません、それで私は黙っていました。」そこで、あなたが王の 権威を持ちたいなら、あなたは意識そのものであるべきです。そうすれば、諸感覚はあなたに従うでしょう。全ての命令は意識から来るでしょうから、全てはす ばらしいものになるでしょう。王達は誤りをすることもありますが、意識は常に適切な時に正しい決定をします。あなたが無心である時、あなたは意図的にどん な働きをもすることはできません。あなたは全く恩寵を与えられています。そしてあなたは服従しています。あなた自身は行為者意識を消失してしまったので、 何もしていません。心はもう存在しません。心のあらゆる種類の働きはもはや存在しません。あなたはすでに決定されてしまった規定の期間、肉体をもって留ま るでしょう、そしてその期間、あなたは意識の道具であるでしょう。
 ある人々は 21 日以上、解脱のショックを、[肉体的に]持 ちこたえる事ができません。それは諸本の中で述べられています。宝くじで不意に 10 億ドルを得る人を想像しなさい。そのような突然得る多額の富のショックは、彼を殺してしまうかもしれません。彼は心臓発作を起こして、死ぬかもしれませ ん。それは往々にして悟りでも同じです。突然、不意にやって来るあまりの幸福は、体を奪い去ることがあります。しかし、悟りは影響を及ぼされないでしょ う。ある人々は悟りの後、他者の利益のためにのみ生き続けます。この恩恵はある“個人”からやって来るのではなく、意識から直接やって来ます。意識である グルは、活動しているのは“私(エゴ)”ではないことを知っています。彼の態度はこうです:「私は話をするよう選び出された、しかし話しているのは“私” ではない。」“彼(自分)”が話しているとグルが思うなら、それは全くの慢心にすぎません。彼の言葉は有効に作用しないでしょう。あなたがアノ直接体験を 持つ時、あなたが話すことに問題はありません。誰かが[あなたの言葉せいで]利益を得たり得なかったり、あるいは人々が[あなたのところに]来たり来なかったりということは、あなたの問題ではありません。それはあなたにとって全く同じ事なのです。