2011年8月27日土曜日

プーンジャ:心を静かに保ちなさい 12

PAPAJI : summA iru (Keep Quiet)

パーパージー:心を静かに保ちなさい

1993 年らックナウの植物園でのデイヴィド・ゴッドマンによる[インターヴュー]

12

D:パーパージー、多くの人達はあなたが「私は究極の教えを誰にも与えなかった」と言うのを聞いてきています。これらの究極の教えは何ですか、そしてなぜ、あなたはそれを与えないのですか?

P:彼らはそれを受けるのにふさわしくありません。誰もそれを受けるのに値しません。なぜなら、誰もが傲慢(ごうまん)で 利己的だったことを、私は経験したからです。これは苦悩に終わりました。多くの人々は、苦しんでいます。今日では、私は他の試みをしています。私は何が起 きるかを見てみましょう。私は、誰もそれを受け取るにふさわしいとは思いません。それに値しようと思うなら、あなた達は神聖である事を証明しなければいけ ません。なぜ、あなた達は人々を助けないで苦しめるのでしょう?これは傲慢です、ね。王が使者を他の国へ送る場合、使者の唯一の仕事はメッセージを届ける 事です。私は西洋へ使者を送りました、しかし彼は王になろうとしました。多くの人々がこの事で苦しみました。私は多くの事例で、そのような事を見てきまし た。どうすればよいでしょう?この種の行ないは、無価値であることを証明しています。私はたぶん寛大すぎて、人々を正しく見抜けません。私は誰もが善良で あると考えるので、たぶんそれは私の間違いです。私はすべての人々に真実を話しますが、真実はソレを受けるにふさわしくない人を拒絶するでしょう。聖なる 人だけが、この教えを受け取ることができます。そのような人は、ソレにふさわしいでしょう。その人がふさわしくないなら、真実はその人の頭に入り、そして 単なる知識となるだけでしょう。西洋人たちは、知的な理解を望みます。彼らは理解できる時は非常に幸福です。知性を通じての知識、それが西洋の望むすべて です。すべての人は[知性を]「超越」した何かがあることを知っています。しかし、私がそれについて話す時、西洋人達は「私は理解できません。私は理解できません」と言います。そこで、私は彼らに「理解する必要はまったくありません」と言います。

 私には、パリに住んでいた友人がいました。彼は 35 年間、J. クリシナムールティ kRSNamUrti の信奉者でした。彼はオーストラリア、ニュージーランド、スイス、イギリスなど、クリシナムールティが行く所に従って、世界中を旅行したものでした。彼は あらゆる本を読み、学びました。彼はザーネン(スイス)で私に会いに来て、しばらくの間、私は彼に話しました。彼は私の話を聴いた後で、「私は理解できま せん。私は理解できません。」と言いました。私は言いました、「あなたはこれを理解すべきではありません。これは理解されるべきことではありません。あな たはソレであるべきです。」彼は同意しませんでした。「いいえ。いいえ。私は理解すべきです。私はあなたもクリシナムールティも理解しません。」私は彼に 言いました、「あなたはクリシナムールティをも私をも、理解する必要はありません。」それから彼は、クリシナムールティとのことで、大変苦しんでいたこと を説明しました。「私がA点にいると、クリシナムールティはB点にいます。しかし、私の見方をAからBへ移すと、彼はC点に移動します。それで、私はクリ シナジーをとても理解できません。」. クリシナムールティも、その時ザーネンにいました、それで多くの彼の信奉者達が私に会いに来たものでした。ある日、一人の人がやって来て話し始めました: 「プーンジャジーとクリシナジーは、同じ事を言っています。クリシナジーは“心からすべての概念を取り除きなさい”と言います、そしてプーンジャジーも同 じ事を言っています。二人とも“心というポットを空にしない限り、あなたは解脱できません”と言っています」。これを聴いていた、 クリシナムールティの弟子であった一人の男が、反論しました。彼は言いました、「いいえ、いいえ、プーンジャジーと クリシナジーの教えには、大きな違いがあります。クリシナジーはポットを空にすることを教え、プーンジャジーはポットをこわすことを教えます」。それが違 いです、そしてこれは心で理解できないあるものです。カップがいっぱいあるいは空である時、あなたは理解できます。しかし、カップが存在しない時、あなた は誰なのですか?そしてあなたは何を理解しようとしているのですか?そこで、私は言います、「心自体は存在しません、それで理解する必要はありません。」 あなたは私が話す時、ソレを実感しなければいけません。考えることは、あなたを助けてくれないでしょう。心自身は観念にすぎません。この観念を取り除きな さい。そして心 (mind = notion = thought = past) は過ぎ去ったのです、そこでその過去も取り除きなさい。「今(現在)」になりなさい、そうしたら、私はあなたが次にしなければいけない事を話しましょう。 ともかく「今(現在)」になりなさい、そうすれば、あなたはわかるでしょう。

D:パーパージー、多くの人々がサト・サンガ sat-saGga に来ます、そして覚醒体験を得ます。ある人達は、数週間や数ヶ月後にもどって来て言います、「私はそれを失いました。」何が起きたのでしょうか?

P:これもまた価値のないことです。

D:ほとんどの場合、あなたはその人達がそれを失うことを非難します。あなたは彼らに言います、「それはあなたの過失です。」

P:ええ、そうです。彼らはそれ(覚醒体験)の 世話をよくしなかったので、失ってしまったのです。私はこれらの人々に言います、「私があなたに大きなダイヤモンドをあげるなら、あなたは残りの人生をそ れに頼って暮らすことができます。あなたはそれを売って、数百万ドルを得ることができます。そのかわりに、あなたがその価値をわからず、それを人にあげて しまうなら、それは誰の過失なのですか?その(ダイヤモンドの)価値を知らず、秤(はかり)の おもりとしてそれを使う漁婦に、あなたがそれをあげるなら、それは誰の過失なのですか?この悟りはダイヤモンドです。それを誤用するような、ふさわしくな い人々に与えられるべきではありません。彼らはそれを実際に誤用します。私は、私のところへ来るすべての人々を差別しません。私はすべての人々に(まったく)同 じ真実を告げます。ある人々はそれを得ます、それからそれを誤用することによってむだにします。彼らはもどって来て言います:「ガールフレンドが私から 去っていきました。私が彼女に電話をしたら、彼女はもどって来ました。今、私はまた幸福です。」これが自由ですか?次回に、彼らは私に言うでしょう:「私 はもどりました、でも彼女は再び私から去って行きました。今、私はまた苦しんでいます。」私は毎日このような話を聞いています。

D:パーパージー、人々があなたから去って行く時、あなたは彼らに決して言いません:「私が与えたこのダイヤモンドを大事にしなさい。それを世話しなさい。」彼らがもどって来た時、それを失ってしまっているので、あなたは彼らを非難するだけです。

P:彼らみんなが、それを失うわけではありません。彼らのうちの何人かは、と てもすばらしい人たちです。彼らは手紙で次のように伝えてきます:「私はそれを保ち続けています。私はこの貴重な贈り物を保ち続けています。私はそれを保 ち続けているだけでなく、他の人たちにも分け与えています。それを分け与えた後にも、まだ同じ量が私と共にあるのがわかります。それは減りません。あなた は私に、なんてすばらしい贈り物を与えてくれたのでしょう!」彼らみんなが、それを失うわけではありません。みんながこれによって恩恵を得られることを望 みますが、誰でもがそれを得ることができるわけではないことも知っています。それにしても、ここでの成果はすばらしいものです。私は他のアーしラム Azrama に目をやり、そこで何が行なわれているのかを見ています。それらと比べれば、ここで得ている結果は、まったく満足できるものです。私はとても満足していま す。

D:パーパージー、最後の質問です。あなたはあなたの全人生において、あなた自身の内的体験を述べようとしてきました。さらにもう一つ、私達に述べてみてもらえすか?あなたは誰ですか?あなたは何ですか?あなたのセルフについてのあなた自身の体験は何ですか?

P:非常に簡単な答えは:「私はあなた自身のセルフです。」私はあなた自身のセルフです、これは真実です。私が私自身のみである事が、どのようにしてあり得るでしょうか?私はあなた自身のセルフであり、そして存在し、存在するはずの全てのもののセルフです。


覚え書き

このインタービューとラーマクロウエるによるインタービュー(教え無し、グル無し、弟子無し No Teaching, No Teacher, No Student)は、らックナウで撮影されました。両方のインタービューからの抜粋は、『求めるのをやめよ Call Off the Search』と題された、パーパージーに関する記録映画に収められています。ここに収録されたインタービュー記事は、元の会話の編集版です。両方のインタービューのビデオテープは、らックナウのサト・サンガ・ばヴァンや他の販売業者から入手できます。詳細については[原本の]305 ページを参照して下さい。